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上山田山付城(静岡県伊豆の国市) [古城めぐり(静岡)]

DSC08014.JPG←西側の枡形虎口
 上山田山付城は、小田原の役における韮山城攻囲戦の際に、蜂須賀小六正勝と並ぶ豊臣秀吉の最古参の家臣で有子山城主前野長康が築いた付城である。韮山城の外郭を形成する天ヶ岳砦の東に対峙する、比高150m程の山上に築かれている。この周辺一帯の山中に豊臣方の築いた付城群の中では最高所に位置しており、前野長康の豊臣家臣団中の位置付けから考えて、実質的に韮山城攻囲軍全軍を統括していたのではないかと個人的に想像している。

 上山田山付城へ登るには、北の谷戸から登るルートが比較的楽らしいが、私は西麓の追越山付城に行った足で、西の尾根筋を登城した。途中、多くの段曲輪群があるが、薮が酷く、歩行すら困難な部分が多い。ようやく城に辿り着いても、久しぶりに酷い藪城で、遺構の確認が大変である。しかし遺構の残存状況は良好で、大きな枡形虎口が3ヶ所明瞭に残っている。枡形を形成する土塁で区画された3つの曲輪で構成された城で、更に外周に腰曲輪が付随している。主城部前面の腰曲輪の南縁には横堀も築かれている。一方、主城部の北側には尾根の平坦な鞍部を挟んで小丘があり、腰曲輪を伴った物見台だった様である。また、主城部からかなり離れた西側下方にも、追越山付城との間の繋ぎの腰曲輪があり、長期に渡って多くの兵を駐屯させるため、かなり城域を広く取っていた様である。

 上山田山付城は、大型の枡形虎口や前面に構えた横堀など、一時的な陣城としてはかなり本格的な造りになっている。HP「土の古城探訪」を主催されている八丁堀さんの指摘している通り、大型の枡形を備え、前面に横堀を穿つなど、御所山城との共通点が見られ、全体の印象としては確かに御所山城と似ている。これまで私が持っていた陣城のイメージを払拭するに足る優れた遺構であった。
横堀→DSC08002.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.048366/138.967674/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
タグ:陣城
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