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北条義時館(静岡県伊豆の国市) [古城めぐり(静岡)]

DSC08404.JPG←館跡の石碑
 北条義時館は、鎌倉幕府2代執権北条小四郎義時の若き日の居館である。義時は、北条時政の次男であった為、北条氏館からやや離れた江間郷に屋敷を構え、江間小四郎と呼ばれたと言う。1180年、源頼朝が平家打倒に挙兵すると、北条氏はその強力な後ろ盾となって石橋山合戦で奮戦したが、時政の長男宗時が討ち死にした為、義時が跡継ぎとなった。その後、鎌倉幕府が成立し、北条時政は初代執権となったが、畠山重忠二俣川で謀殺するなど専横の振る舞いが多くなった為、義時は父時政を鎌倉から追放して2代執権の座に就いた。後鳥羽上皇の起こした承久の乱を、姉で尼将軍と呼ばれた北条政子(頼朝夫人)と協力して大軍で討伐し、鎌倉幕府の権威を不動のものとするなど、幕政の安定に大きく貢献し、御成敗式目を制定した子の3代執権泰時と並んで、名執権と称えられた。
 北条義時館は、北条氏館からわずか1km弱の位置にあるが、現在は住宅地脇のただの空き地となっており、遺構は全く確認できない。国の天然記念物「地震動の擦痕」のすぐ近くに館跡を示す石碑が建っているだけである。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.054539/138.933610/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0
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らんまる

おお、唯一天皇家を島流しにした義時公でございますな。
神をも恐れぬ所業を為した名執権。あとにも先にも此の方のみ。
素晴らしい(笑)

しかし、偉業と屋敷跡はマッチしないものですね。
寂し過ぎます・・・。
by らんまる (2012-05-27 10:49) 

アテンザ23Z

>らんまるさん
現在「増鏡」を読んでいますが、
王朝側の視点で書いた鎌倉時代の歴史書で、
これを読むと上皇を頂点とした朝廷が、
いかに庶民とかけ離れた享楽的な日々を過ごしていたかが
わかります。

後鳥羽上皇もかなり享楽的な面が強かったので、
島流しも仕方ない仕儀かと・・・。
by アテンザ23Z (2012-05-27 22:26) 

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