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長谷場城(栃木県佐野市) [古城めぐり(栃木)]

DSC04793.JPG←主郭の堀切
 長谷場城は、歴史不詳の山城である。蓬山寄居城とも呼ばれることから、日本城郭大系では蓬山城の支城と推測している。佐野氏の勢力圏北方の旗川沿いに点在する城郭群の中では、最も規模が大きく、旗川流域を押さえる拠点城郭として機能したのではないかと個人的に推測している。

 長谷場城は、標高400m、比高240mの扇山山頂に築かれている。道はなく、東南東に伸びる尾根に直登して訪城した。東西に長い山頂を直線上の土塁と浅い堀切で仕切り、3郭に分割している。中央の曲輪を主郭、その西側をニノ郭、東側を三ノ郭とすると、主郭とニノ郭の間が堀切で分断されており、ここには土塁はない。一方、主郭と三ノ郭の間は仕切り土塁で区画されている。主郭・ニノ郭・三ノ郭はある程度の広さがあって、居住性を備えていた様だ。主郭には祠とお地蔵様が祀られている。三ノ郭の南東に虎口状の窪みとその先に腰曲輪が1段あり、馬出し状の小郭となっている。それから考えると、これが大手虎口であろうか。ニノ郭の北西に伸びる尾根には段曲輪が2段あり、その先に僅かに堀切らしい窪みがある。その先の鞍部を越えると小ピークがあり、その北尾根にも段曲輪が2段あることから、物見郭と思われる。。一方、ニノ郭南西側の斜面は広い緩斜面となっており、ここに多くの帯曲輪群が築かれている。数は数えなかったが、10段程にもなるだろうか、執拗に構築されており、この方面を重点的に防御していたことが伺われる。帯曲輪群の上部に段曲輪・腰曲輪があり、腰曲輪には主郭の堀切から接続している様である。防御構造は南西側に集中しているが、あくまで南東の尾根が大手であるらしく、尾根途中には不明瞭ながらも段曲輪群らしきものがあった。

 長谷場城は、普請はわりと大雑把で旧態依然としたものであり、遺構の状況から考えると、南北朝期から戦国時代初期頃までの城と考えられる。まとまった兵の駐屯が可能な比較的大きな規模の城で、一時期、この地域の中核的城郭であった可能性を伺わせている。
堀切状の窪みと段曲輪→DSC04821.JPG
DSC04838.JPG←南西斜面の帯曲輪群

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.435517/139.554123/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
タグ:中世山城
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