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鞍骨城(長野県長野市) [古城めぐり(長野)]

DSC05248.JPG←ニノ郭の石垣
 鞍骨城は、川中島城塞群の一つで、山奥にある峻険な山城である。永正年間(1504~21年)に村上氏の庶流清野山城守勝照が築いたと言われている。清野氏は村上氏の代官九家の上座に列する土豪で、川中島地域の小豪族の中では最も早くから武田信玄に臣従した。鞍骨城は、当初は清野氏の詰城であったが、川中島地域が甲斐武田氏と越後上杉氏との接壌地帯となり、甲越両軍の重武装地帯に変貌すると、海津城の背後を押さえる要害として武田氏によって改修されたと考えられる。1582年、武田氏が織田信長に滅ぼされ、その僅か3ヶ月後に信長も本能寺で横死すると、甲斐・信濃は政治権力の巨大な空白地帯となり、周辺諸豪は一斉に甲斐・信濃に侵攻した。こうして生起した天正壬午の乱では、神流川の戦いで滝川一益を破って、碓氷峠を越え、佐久方面を従えて侵攻してきた北条氏直と、越後から侵攻してきた上杉景勝が川中島で対峙した。この時、景勝の軍勢は鞍骨城に布陣して眼下の北条勢を威圧したと言われる。一方、清野氏は、武田氏滅亡後は上杉氏に属し、景勝が会津に転封となると、これに従って移り、この地を離れた。鞍骨城は、この頃廃城になったのだろう。

 鞍骨城は、標高798mの鞍骨山に築かれている。鞍骨山から派生する尾根筋には、出城の天城城唐崎城鷲尾城竹山城などがあり、これらの最高所に位置する鞍骨城は、これらの城塞群全体の司令塔であったと考えられている。唐崎城方面からだと、登頂比高は448mにも及ぶ遠い山奥の城であるが、天城城まで登ってしまえば、道程は長いもののそこからは比較的傾斜のゆるい尾根道で、20分程で鞍骨城の城域に入ることができる。天城城から尾根の鞍部に降ると堀切状に古道が刻まれた二本松峠があり、そこから尾根を登って行くと、天城城と鞍骨城のほぼ中間地点付近に、大堀切が穿たれている。これは鞍骨城に続く尾根筋を防御したものである。そこからしばらく進むと大きな二重堀切があり、ここから鞍骨城の城域に入る。主郭・ニノ郭の前面には大きな高低差で段曲輪が置かれている。主郭・ニノ郭は総石垣で、天空の城としての威容を見せる。主郭虎口は南側にあり、西尾根からの登城道は、ニノ郭からの射線に晒されたままグルリと迂回するように取付けられている。主郭には虎口周辺に低い土塁があり、背後に当たる東側は一段高い土壇となっている。東尾根には四角い小郭があり、その先は細尾根で小堀切が数本あるが、山奥の城のせいかあまり背後からの防御を重視していない様だ。この他、南尾根にも段曲輪群があるが、こちらには堀切による分断防御はない。これらの縄張りを総合すると、鞍骨城はあくまで前面の天城城方面からの攻撃を想定して防御構造が構築されており、万一海津城が上杉方に奪取された場合に、甲斐からの援軍が到着するまで持ち堪えられる様に考えられていた様に思う。

 今回、とうとう念願の鞍骨城を訪城することができた。この日は春の日差しを浴びて、爽やかな城歩きができた。主郭からの眺望は素晴らしく、川中島全域を一望できる。但し、熊の出没確率の高い地域なので、それ相応の備えは必須である。
尾根中間の大堀切→DSC05205.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.542855/138.181003/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0


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