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新田城(青森県八戸市) [古城めぐり(青森)]

DSC07013.JPG←空堀跡
 新田城(にいだじょう)は、新井田城とも記載され、根城南部氏の庶流新田氏が築いた城である。南北朝時代に根城を築いた南部師行の孫政持が根城の支城として築城し、以後新田氏を称して南部氏の重臣となった。一説には、新田城の北方500mの古館に入り、後に新田城に移ったとも言われている。時代は下って、1590年、三戸城主南部信直が豊臣秀吉の小田原の役に参陣して本領を安堵されると、根城も信直の支配下に入った。1627年、新田直義は伊達藩との国境を守るため遠野に移り、新田城は廃城となった。江戸時代中期の1766年には、八戸藩5代信興の隠居所として新御殿がこの地に営まれたと言う。

 新田城は、新井田川東岸に張り出した標高38mの台地上に築かれている。独立丘陵上の平山城で、いかにも要害の地であったことが現在でもよく分かる。本丸と外館(二ノ丸)の2郭から成る城で、新田八幡宮が建てられた本丸はかなり広く、周囲に腰曲輪を巡らしている。腰曲輪の一部は民家になっているが、切岸等の遺構は明確で、本丸西側に腰曲輪に繋がる虎口と土塁も明瞭に残っている。また本丸と外館の間は空堀で分断され、この堀跡の一部が残っている。堀の残りの部分は民家が建って湮滅してしまっている。外館には現在新井田小学校や民家が建っていて、かなり改変を受けているようだ。新田城は、一部であるが遺構は明瞭に残っていて、なかなかのものである。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/40.491047/141.518701/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
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