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根城(青森県八戸市) [古城めぐり(青森)]

DSC07308.JPG←本丸周囲の空堀
 根城は、奥州の名族南部氏の庶流根城南部氏の歴代の居城である。鎌倉幕府を滅ぼした後醍醐天皇は、動乱冷めやらぬ奥州を押さえる為、北畠顕家を陸奥国司・鎮守府大将軍に任じて、幼い義良親王(後の後村上天皇)を奉じて陸奥多賀城に下向させた。これは顕家の父で後醍醐の側近であった北畠親房の献策に拠ると言われる。この時、白河結城宗広・伊達行朝らと共に、根城南部氏の祖南部師行も下向して、奥州府の柱石として重きを成した。師行は、国代として糠部郡を支配し、1334年に根城を築いて本拠地とした。南北朝に分裂した後の1338年、師行は顕家率いる奥州軍に加わって西上し、和泉堺浦で北朝方の高師直(足利尊氏の執事)の軍に敗れて、顕家と共に討死した。根城南部氏はその後も奥州南朝方として活動したが、次第に北朝方に圧迫され、遂には足利義満の時代に南北合一となった。根城南部氏は、その後も根城を本拠として続き、1590年の小田原の役に三戸城主南部信直が参陣して本領安堵されると、根城南部氏は三戸南部氏の支配下に入った。江戸時代初期の1627年に、信直の子利直の要請によって、根城南部直栄は岩手県遠野に移り、根城は廃城となった。

 根城は、現在国指定史跡として大々的に整備され、日本百名城にも選出されている。馬淵川南岸の河岸段丘を利用して築かれた城で、浮島の様に曲輪を点在させた群郭的縄張りの城である。青森~岩手には、九戸城浪岡城などこの手の縄張りの城が多い。根城は広大な城域を有し、本丸・中館・東善寺館・岡前館・沢里館から構成され、外郭まで含めて遺構はほぼ完存に近い。近世初頭まで存続した城であるが、遺構を見る限りほとんど中世城郭のままの形態を残していた様である。本丸は外周に低い土塁と空堀を巡らして防御し、周囲の一部は横堀と空堀で二重防御している。本丸内は、主殿など多くの建物が発掘成果に従って復元されており、往時の城の状況を知ることができる。中館・東善寺館も公園として整備されており、堀跡や切岸が明瞭に残っている。岡前館はほとんど宅地化しているが、周囲を廻る第3空堀はかなり埋まっているもののはっきりと残っている。更に南の外郭に当たる沢里館も、切岸と外周の堀跡が明瞭に残っている。街中の城で、外郭まで含めた遺構がこれほど良く残っている例も珍しい。
外郭を廻る第3空堀→DSC07340.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/40.506156/141.460508/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
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ノリパ

いつか行きます、スタンプを押しに。でもいつ行けるのか。。。遠すぎますね。
by ノリパ (2012-10-21 13:35) 

アテンザ23Z

>ノリパさん
さすがに青森まで来ると、
北の果てという感じがしますね。
新幹線が新青森まで延伸していなければ、
行こうかどうしようか迷っていたところでした。
by アテンザ23Z (2012-10-21 16:40) 

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