十三湊遺跡(青森県五所川原市) [古城めぐり(青森)]
←直線状の土塁遺構
十三湊遺跡は、十三湊を支配して強勢を誇った安東氏が築いた中世の国際港湾都市の遺構である。鎌倉時代に津軽地方で最も勢力のあった藤崎城の安東氏は、1229年頃、渡島の蝦夷と交易する為に十三湊に進出したと言う。その後の事績は、福島城の項に記載する。
十三湊遺跡は、十三湖西岸の、前潟と挟まれた半島にあり、現在は国指定史跡となっているが、整備はまだあまり進んでおらず、一面の田舎町の風景が広がっている。明確な遺構としては、一部に直線状の土塁が残っており、その北東のやや離れた場所に、安東氏館の土塁も南東部だけがわずかに残っている。発掘調査の結果では、周囲の広い範囲に町家や家臣団屋敷の遺構が確認されている。前述の東西方向の土塁によって、南北に二分されており、土塁北側のエリアが領主や家臣団の居住地と推定されている。土塁南側のエリアは北側が衰退した後整備されたと考えられており、それから推測すると先の土塁は十三湊中枢部を防衛する外郭線だったと考えられる。湖沿岸は、今でもしじみ漁が有名な漁師町でのどかな景色が広がっている。今後の復元整備に期待したい。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/41.030234/140.329324/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
十三湊遺跡は、十三湊を支配して強勢を誇った安東氏が築いた中世の国際港湾都市の遺構である。鎌倉時代に津軽地方で最も勢力のあった藤崎城の安東氏は、1229年頃、渡島の蝦夷と交易する為に十三湊に進出したと言う。その後の事績は、福島城の項に記載する。
十三湊遺跡は、十三湖西岸の、前潟と挟まれた半島にあり、現在は国指定史跡となっているが、整備はまだあまり進んでおらず、一面の田舎町の風景が広がっている。明確な遺構としては、一部に直線状の土塁が残っており、その北東のやや離れた場所に、安東氏館の土塁も南東部だけがわずかに残っている。発掘調査の結果では、周囲の広い範囲に町家や家臣団屋敷の遺構が確認されている。前述の東西方向の土塁によって、南北に二分されており、土塁北側のエリアが領主や家臣団の居住地と推定されている。土塁南側のエリアは北側が衰退した後整備されたと考えられており、それから推測すると先の土塁は十三湊中枢部を防衛する外郭線だったと考えられる。湖沿岸は、今でもしじみ漁が有名な漁師町でのどかな景色が広がっている。今後の復元整備に期待したい。
居館跡の土塁→
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/41.030234/140.329324/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
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