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川田古城(長野県長野市) [古城めぐり(長野)]

DSC09781.JPG←二重堀切
 川田古城は、古城山城とも言い、また日本城郭大系では川田山城と記載され、この地の土豪川田氏の詰城である。歴史は不詳であるが、1553年に川田津島守が武田軍に敗れて、村上義清に従って越後に逃れたとされる。また一説には、天文年間(1532~55年)に武田氏が築いたとも言われているが、遺構を見る限り川田氏の詰城という見方の方が合っている様である。
 川田古城は、標高544m、比高194mの古城山に築かれている。南北に伸びる尾根上に主要な曲輪を配置した連郭式を基本形とした山城で、主郭の手前の曲輪は二重堀切で防御し、主郭背後には3つの堀切で背後の尾根筋を防御している。しかし主郭直下にある堀切以外はかなり浅い小規模なもので、大名的な強い権力が作った城ではないことを物語っている。また主郭の東側にも段曲輪群が連なっているが、左右で高低差がある曲輪が交互に連なっている。この段郭群の西側に竪堀が1本穿たれており、段郭群を迂回して主郭に近づこうとする敵の動きを制約している。また主郭周囲には放射状に数本の竪堀も穿たれている様で、これは武田氏の築城法に近い。川田氏の詰城を、武田氏が小規模な砦として再利用したのかもしれない。川田古城へは、現在登山道が整備されており、迷うことなく登ることが出来る。しかし霞城の荘厳な遺構を見た後では、如何せん特徴に乏しい城に見えてしまう。
動線遮断の竪堀→DSC09737.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.596657/138.231300/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
タグ:中世山城
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