城山城(長野県高山村) [古城めぐり(長野)]
←三重堀切の一部
城山城は、馬陰城とも言い、歴史不詳の山城である。一説には、木曽義仲挙兵の際に義仲配下の部将の一人、高井太郎が築いた城とも言われ、又別説では、大岩城を本拠とした須田氏が築いた城砦群の一つとも言われる。
城山城は、標高650m、比高120m程の山上に築かれている。現在城山つつじ公園となっており公園化されているが、遺構はほぼそのまま残っている。山頂に主郭を置き、その前後の尾根に小郭を並べ、曲輪間を堀切で分断した典型的な連郭式山城である。主郭背後には二重堀切が穿たれ、三ノ郭背後の尾根にも三重堀切が穿たれているが、どの堀切もいずれも小さく、大した防御性は無いように感じられる。この三重堀切も竹ノ城のものと同じ形状で、高低差を持った段々状のものである。いずれにしても、遺構を見る限り戦国期に甲越両軍の主戦場近くに構えられた城とは考えにくく、鎌倉~室町期に築かれた山城の様に思われる。戦国期には、あまり機能していなかった様に感じられる。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.669856/138.362410/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
城山城は、馬陰城とも言い、歴史不詳の山城である。一説には、木曽義仲挙兵の際に義仲配下の部将の一人、高井太郎が築いた城とも言われ、又別説では、大岩城を本拠とした須田氏が築いた城砦群の一つとも言われる。
城山城は、標高650m、比高120m程の山上に築かれている。現在城山つつじ公園となっており公園化されているが、遺構はほぼそのまま残っている。山頂に主郭を置き、その前後の尾根に小郭を並べ、曲輪間を堀切で分断した典型的な連郭式山城である。主郭背後には二重堀切が穿たれ、三ノ郭背後の尾根にも三重堀切が穿たれているが、どの堀切もいずれも小さく、大した防御性は無いように感じられる。この三重堀切も竹ノ城のものと同じ形状で、高低差を持った段々状のものである。いずれにしても、遺構を見る限り戦国期に甲越両軍の主戦場近くに構えられた城とは考えにくく、鎌倉~室町期に築かれた山城の様に思われる。戦国期には、あまり機能していなかった様に感じられる。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.669856/138.362410/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
タグ:中世山城
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