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野尻牛首城(福島県昭和村) [古城めぐり(福島)]

DSC00932.JPG←広い緩斜面の主郭
 野尻牛首城は、横田中丸城主山ノ内氏一族の城である。山ノ内氏は会津入部以来、中丸城を本拠に一族を奥会津の要地に配し、これら一族は「山ノ内七騎党」と称された。野尻牛首城も七騎党の持ち城で、元は1354年に野尻信濃守俊行が築いた城を、1473年に山内信濃守俊詮が修復再興したと伝えられている。永禄年間(1558~69年)には山内兵庫頭實良が城主であったらしい。1589年、摺上原の戦いで 会津の戦国大名葦名氏を滅ぼした伊達政宗は、奥会津にその勢威を伸ばした。しかし山ノ内氏勝は政宗に従わず頑強に抵抗した。政宗は大波玄蕃基重を先鋒とする500騎を、柳津から只見川沿いに侵攻させ、野尻牛首城を占拠した。そして野尻牛首城を足掛かりに、布沢城をも攻め落とした。間もなく豊臣秀吉の小田原の役となり、秀吉は奥州諸侯に参陣を求め、その後の奥州仕置で不参の奥州諸侯を悉く改易し、山ノ内氏も没落した。野尻牛首城もこの頃廃城になったと考えられる。

 野尻牛首城は、野尻川西岸の山地にあり、権現山から北に伸びる、標高650m、比高220mの支尾根に築かれた山城である。背後の山中にある吉尾峠を通して布沢城と連絡できる要地であった。城の場所が確実ではなかったので、野尻集落のおばあさんに訊いたら、一発で行き方を教えて頂けたので、地元ではしっかり城として認知されているらしい。しかし大手道は完全に途絶しており、この城に行くには、城のある尾根の一つ東側の尾根筋を登って背後の標高708mの権現山まで登り、そこから北の支尾根に降りる大迂回ルートとなる。東尾根も、途中の祠までは道があるが、そこから先は道なき薮を突き進まなくてはならない。権現山から支尾根に降りるルートも、急斜面の岩場を降りる必要があるので、かなり厳しい攻城戦である。遺構自体は良好に残っている。広い傾斜地となっている主郭の最上部に櫓台があり、その背後に小堀切、更にその上の方には物見台と小堀切がある。主郭東側には腰曲輪があり、急斜面となっている西側に対して、斜度の緩い東側を重点防御している。主郭の北側にはニノ郭があるが、主郭とニノ郭はわずかな段差だけで区画され、主郭前面とニノ郭前面には石垣の残欠が見られる。ニノ郭手前には枡形の方形区画があり、虎口を形成していたと考えられる。更にその前方に、鞍部を挟んで土塁で囲まれた三ノ郭があり、そこから東側に開いた虎口を降りると、その東下に広い四ノ郭があって城域が終わっている。基本的には梯郭式の縄張りで、曲輪周囲を低い土塁で防御しているほかは、堀切などは少ない城である。降りる時は、大手道を探して北の尾根筋を降りたが、こちらは途中で薮がひどく、進めなくなってしまった。お陰で、西側の沢筋に下る急斜面を降りるハメになってしまった。道もない山深い城なので、それ相応の覚悟と装備がないと訪城はお勧めできない。
 尚、郵便局付近が居館跡とされているが、宅地化で遺構は湮滅している。
主郭背後の小堀切→DSC00919.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆(登城困難のため減点)
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/37.359549/139.562320/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
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