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宮崎館(福島県金山町) [古城めぐり(福島)]

DSC01210.JPG←主郭の堀切と土塁
 宮崎館は、横田中丸城主山ノ内氏の庶流川口氏の一族宮崎右近の居館である。1544年に山ノ内俊清は、中丸城を嫡男舜通に譲り、末子俊甫と共に川口に玉縄城を築いて移り住み、川口氏の祖となった。宮崎右近はその一族で、最初は玉縄城の峰続きの雀ヶ城を守備していたが、1550年頃に宮崎館を築いて移り住んだと言う。その後の1589年、摺上原の戦いで会津の戦国大名葦名氏を滅ぼした伊達政宗が奥会津に侵攻すると、宮崎右近は本家に当たる玉縄城主川口俊安と共に政宗に臣従し、伊達勢の先陣を務めた。本家の山ノ内氏勝は政宗に従わず頑強に抵抗した為、政宗は川口氏らを先導役として横田中丸城を始めとする山ノ内氏諸城を攻めた。間もなく豊臣秀吉の小田原の役となり、秀吉は奥州諸侯に参陣を求め、その後の奥州仕置で不参の奥州諸侯を悉く改易し、山ノ内氏は没落した。一方、伊達政宗も実力で切り取った会津を没収され、宮崎氏も米沢に移ってこの地を離れた。

 宮崎館は、只見川東岸の絶壁の上に築かれた館で、伊北道と只見川水運を確保する要地であった。只見川上流に向かって三角形状に突き出した台地上に主郭・ニノ郭・三ノ郭を連郭式に構え、各曲輪を堀切で分断した典型的な崖端城の縄張りである。特に主郭には堀切に沿って土塁が築かれ、東側に数段の腰曲輪を備えている。小規模な城館であるが、公園化されているため、簡単に遺構を見て回ることができる。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/?#16/37.471180/139.528395/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
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