飯盛山城(福島県会津若松市) [古城めぐり(福島)]
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飯盛山城は、会津白虎隊自刃の地として有名な飯盛山の山頂に、戦国時代に築かれた山城である。その歴史は定かではないが、その位置関係から考えれば、会津の戦国大名葦名氏が居城の黒川城(現在の会津若松城)防衛の支城群の一つとして築いたものと考えられる。
飯盛山城は、標高372mの飯盛山の山頂にある堂ヶ作山古墳の前方後円墳と円墳を城域に取り込んだ縄張りとなっている。西麓のさざえ堂から伸びる登山道を登って行くと、主城部より比高で60m程低い位置にある北出丸に到達する。そこから主城部までは大手道が伸びているが、大手道に沿って竪土塁が築かれており、その上部に横堀が穿たれて主郭への障壁となっている。主郭には前方後円墳があり、南側の腰曲輪に円墳がある。主郭周囲は腰曲輪が1段あって防御を固め、主郭西側に小規模な堀切を介してニノ郭が連なっている。ニノ郭の先にも堀切と土塁が築かれている。縄張りとしてはこの程度のもので、比較的規模は小さく、大塚山城と共に黒川城北東の防衛の一翼を担った城砦であったものだろう。
お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/37.503544/139.955845/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
飯盛山城は、会津白虎隊自刃の地として有名な飯盛山の山頂に、戦国時代に築かれた山城である。その歴史は定かではないが、その位置関係から考えれば、会津の戦国大名葦名氏が居城の黒川城(現在の会津若松城)防衛の支城群の一つとして築いたものと考えられる。
飯盛山城は、標高372mの飯盛山の山頂にある堂ヶ作山古墳の前方後円墳と円墳を城域に取り込んだ縄張りとなっている。西麓のさざえ堂から伸びる登山道を登って行くと、主城部より比高で60m程低い位置にある北出丸に到達する。そこから主城部までは大手道が伸びているが、大手道に沿って竪土塁が築かれており、その上部に横堀が穿たれて主郭への障壁となっている。主郭には前方後円墳があり、南側の腰曲輪に円墳がある。主郭周囲は腰曲輪が1段あって防御を固め、主郭西側に小規模な堀切を介してニノ郭が連なっている。ニノ郭の先にも堀切と土塁が築かれている。縄張りとしてはこの程度のもので、比較的規模は小さく、大塚山城と共に黒川城北東の防衛の一翼を担った城砦であったものだろう。
お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/37.503544/139.955845/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
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