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猿戻城(福島県柳津町) [古城めぐり(福島)]

DSC01958.JPG←台地上の堀状の地形
 猿戻城は、越後平氏の豪族城氏が築いた城である。平安中期の988年、会津進出を狙う城四郎重則は、会津進出の足がかりとして「会津八館」を築いたと言われている。猿戻城はその中の一つで、主城であったと言われ、重則自身が居城したとされる。重則は、高寺山高隆寺と結んで慧日寺を討伐したが、991年、返って慧日寺に敗れ、自害したと伝えられている。城氏はその後も鎌倉時代まで活躍したが、1201年に城長茂が建仁の乱を起こして鎌倉幕府に叛し、討伐されて歴史から姿を消した。猿戻城もこの頃に廃城になったのだろう。
 猿戻城は、只見川とその支流下藤川の合流点西側の比高40m程の段丘上に築かれている。ほぼ独立丘の体を成しており、台地上は現在一面の広大な畑に変貌している。南西側に掘状の地形があり、遺構の様であるがはっきりしない。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/37.555825/139.742102/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
タグ:中世平山城
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