御屋敷(東京都八王子市) [古城めぐり(東京)]
←御屋敷付近の谷戸と御屋敷川
御屋敷は、小田原北条氏滝山衆麾下の家臣の居館とされている。その姓名は伝わっておらず、「新編武蔵国風土記稿」では八王子城主北条氏照の家臣とされ、「武蔵名勝図会」では浄福寺城主大石遠江守の家臣とされており、詳らかにはできない。大石遠江守は御屋敷付近にある乾晨寺の開基とされているので、この付近を領し、代官として家臣を派遣して統治していたとも考えられる。
御屋敷の場所は明確ではなく、「御屋敷」という地名が美山町に残っているだけである。この地を東流する小河川は「御屋敷川」といい、その護岸の銘版には「御屋敷」の名が付いている。「殿畑」という地名も残っているらしい。また、乾晨寺の西側を通る都道61号線のバス停は「御屋敷入口」と言い、現在でも御屋敷の地名は受け継がれており、バス停の西側に広がる谷戸の中のどこかに屋敷があったのだろう。谷戸内は宅地と畑になっており、遺構らしいものは確認できない。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.685048/139.249123/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
※地図の位置は、推定地付近を示しているだけです。
御屋敷は、小田原北条氏滝山衆麾下の家臣の居館とされている。その姓名は伝わっておらず、「新編武蔵国風土記稿」では八王子城主北条氏照の家臣とされ、「武蔵名勝図会」では浄福寺城主大石遠江守の家臣とされており、詳らかにはできない。大石遠江守は御屋敷付近にある乾晨寺の開基とされているので、この付近を領し、代官として家臣を派遣して統治していたとも考えられる。
御屋敷の場所は明確ではなく、「御屋敷」という地名が美山町に残っているだけである。この地を東流する小河川は「御屋敷川」といい、その護岸の銘版には「御屋敷」の名が付いている。「殿畑」という地名も残っているらしい。また、乾晨寺の西側を通る都道61号線のバス停は「御屋敷入口」と言い、現在でも御屋敷の地名は受け継がれており、バス停の西側に広がる谷戸の中のどこかに屋敷があったのだろう。谷戸内は宅地と畑になっており、遺構らしいものは確認できない。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.685048/139.249123/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
※地図の位置は、推定地付近を示しているだけです。
2012-12-13 02:00
nice!(3)
コメント(0)
コメント 0