川口館(東京都八王子市) [古城めぐり(東京)]
←川口館跡の現況と石碑
川口館は、川口兵庫介館とも言い、武蔵七党の一つ西党に属する川口氏の居館である。平安時代に西次郎宗貞3代の孫川口次郎大夫がこの地に入部し、川口氏の祖となった。鎌倉幕府が開幕すると、川口氏も参画して貢献し、室町時代の応永年間(1394~1428年)、川口兵庫介幸季の時代が、川口氏の全盛期だったとされる。その後、関東が戦乱で覆われると、扇谷上杉定正の幕下で勢威を振るい、関東管領山内上杉顕定と対峙した。戦国時代に入って小田原北条氏が勃興して武蔵を勢力下に置くと、川口氏は歴史の波に埋もれていったと言う。
川口館は、秋川街道(都道32号線)沿いの調井台と呼ばれる、比高15m程の台地上にあったとされる。台地上に遺構はなく、広い畑地と民家となっているが、北側を流れる川口川に望んで街道筋を押さえる要地であったことは想像に難くない。民家の手前に立派な石碑が建ち、川口氏の歴史を今に伝えている。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.690468/139.282898/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
川口館は、川口兵庫介館とも言い、武蔵七党の一つ西党に属する川口氏の居館である。平安時代に西次郎宗貞3代の孫川口次郎大夫がこの地に入部し、川口氏の祖となった。鎌倉幕府が開幕すると、川口氏も参画して貢献し、室町時代の応永年間(1394~1428年)、川口兵庫介幸季の時代が、川口氏の全盛期だったとされる。その後、関東が戦乱で覆われると、扇谷上杉定正の幕下で勢威を振るい、関東管領山内上杉顕定と対峙した。戦国時代に入って小田原北条氏が勃興して武蔵を勢力下に置くと、川口氏は歴史の波に埋もれていったと言う。
川口館は、秋川街道(都道32号線)沿いの調井台と呼ばれる、比高15m程の台地上にあったとされる。台地上に遺構はなく、広い畑地と民家となっているが、北側を流れる川口川に望んで街道筋を押さえる要地であったことは想像に難くない。民家の手前に立派な石碑が建ち、川口氏の歴史を今に伝えている。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.690468/139.282898/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
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