SSブログ

石浜渡津跡(東京都福生市) [その他の史跡巡り]

DSC02377.JPG←渡し場跡の碑
 現在、福生市の牛浜付近には、石浜渡津と呼ばれる多摩川の渡し場があった。南北朝時代の観応の擾乱で、弟足利直義を討つため東下した足利尊氏は、直義を破って鎌倉に入ったが、北朝方(足利方)の分裂につけ込んで挙兵した新田義宗・義興ら南朝方に攻めこまれ、閏2月20日に武蔵国人見原金井原で新田勢を迎え撃ったが、戦利なく危殆に陥った。尊氏は自刃を覚悟するほどであったというが、辛くも石浜に逃れて、軍勢を立て直した。そして、関東諸豪の援軍も得て、新田勢を関東から駆逐することに成功した。この武蔵野合戦において尊氏が逃れた「石浜」は、一般には石浜城の地と言われているが、別説ではこの石浜渡津のあった福生市牛浜であるとも言われている。
 石浜渡津跡は、現在は多摩川河川敷の多摩川中央公園の中に石碑が建てられているだけである。前後の状況や、『太平記』の記述に「小手指原より石浜までは、四十六里(約30km)」とあることから考えれば、やはり石浜城が尊氏再起の地と考えるのが妥当と思うが、ここにもそうした説があることを知り、訪問した。

 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.730523/139.325845/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0f0
nice!(2)  コメント(0) 

nice! 2

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント