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加賀塚(東京都日野市) [その他の史跡巡り]

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 加賀塚は、小田原北条氏の家臣竹間加賀入道の墓である。日野に知行地を有し、日野本宿に住していた。天正年間(1573~92年)には鉢形城の守備に当たったと伝えられ、1590年の小田原の役の際には、2月8日に鉢形城から戻り、この地で切腹したと言う。
 加賀塚は、住宅地の只中の加賀塚公園の奥にある。小さな塚の上に自然石の墓があり、その手前には昭和15年に子孫の竹間弥惣次氏によって建てられた供養塔が建つ。こんな宅地の只中に、戦国時代の歴史がひっそりと伝わっているとは、何とも興味深い。

 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.681963/139.392868/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
タグ:墓所
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竹間忠義

北陸・福井県に住んでいます。供養碑に平成24年夏に尋ねました。平成31年2月に元祖の350年供養祭をいたします。第15代宗男さんの奥さんの愛子を訪ねましたがお会いできませんでした。
by 竹間忠義 (2013-11-29 09:51) 

アテンザ23Z

>竹間忠義さん
当ブログをご訪問頂きありがとうございます。
竹間加賀入道のご子孫様ですか。
ご先祖の塚が、この様に史跡となって大切に守られているとは
羨ましい限りです。
by アテンザ23Z (2013-11-29 19:19) 

NO NAME

名前の検索で今日知りました。以前に愛子さんから手紙を頂いたことがあります。今の現況は知りません。お逢い出来なかったのは、体調が悪かったからです。供養碑から少し離れた所に住んでおられました。お住まいの隣の神社境内に自動車を止めて歩いていきました。
by NO NAME (2014-11-08 21:50) 

竹間忠義

二年前にプログを訪問しました。戦国武将・竹間加賀源正延入道了海は我が家の子孫ではないと思います。明治4年に竹間の苗字を名乗っています。義務ずけされたのは明治8年です。元祖は五太夫と戸籍はなっています。私の知見です。全国に逃げ延びた一人と思うのです。その後に寺院の開基にご縁あり、四人が従弟しています。福井県と紀伊田辺の寺院です。先日12月8日に紀紀田辺に五郎地蔵寺を訪ねますた。現住職は従兄弟です。前代は父の姉・前々代は叔父です。平成三十一年二月二十一日に三百五十年の供養祭を計画しています。加賀塚を参考にして、この夏「供養碑」を建ました。子・孫と関係者で精一杯忍びます。この世の生まれた佛縁ではないでしょうか。合掌。
by 竹間忠義 (2015-12-16 16:37) 

アテンザ23Z

>竹間忠義さん
2年ぶりのご訪問、ありがとうございます。なるほど、いろいろとご縁が繋がっているのですね。先祖を忍んで、一族関係者集まっての供養祭とは素晴らしいことだと思います。事がうまく運ぶよう、祈念致します。
by アテンザ23Z (2015-12-16 20:39) 

竹間忠義

お蔭さまで、新しい年を迎えました。今年は記憶にない大雪のない穏やかな季節で経緯しています。以前の事です。元祖は「種徳院心岩道安居士」。平成12年に330回忌供養法要を頂きました。その前に「竹間加賀源正延入道了海・行年四拾壱歳にして天正拾八年多摩川境に於いて自刃 清浄軒普門義通居士 平成弐年弐月 満四百年供養祭」は第拾五代子孫竹間宗男氏の案内写しを拝見に至りました。今回の供養碑は、曹洞宗大本山総持寺派栴檀山 高林寺の先祖代々墓の右に建てることができました。道元禅師辿られた中国・天童寺に佛縁から世平副監院お逢いでき書「心心相印」を頂きました。恥る訪問にも関わらずに留め頂き感謝致します。
by 竹間忠義 (2016-02-08 12:04) 

アテンザ23Z

>竹間忠義さん
中国まで佛縁が繋がっているとは恐れいります。そろそろ寒さも一段落して、徐々に春の兆しも見えてきそうですので、どうかご自愛下さい。
by アテンザ23Z (2016-02-08 22:29) 

竹間忠義

平成29年11月22日に竹間加賀源正延入道了海の菩提寺・宝泉禅寺を参詣しました。同寺住職にお会いでき、当家に残る「過去帳」に記してit頂くことができました。10日前と前日に電話連絡しました。おかげ様で曇の日でしたが暖かい日でした。参詣が済んだころに小雨になりました。これも佛縁でしょうか。生花を供えさせて頂きました。朱印帳にも記帳も頂くことができまた。越前和紙に右に永平寺 承陽殿 中央に78世宮崎奕保禅師の般若心経の写経写し(白寿・別是壷了) 左に宝泉禅寺と。行きは金沢周りの新幹線で大宮。帰りは鶴見総持寺により名古屋から帰りました。長男も同行。帰郷し即、表具に出しました。春先に寺院緑地に昔を忍ぶカタクリの可憐な花が咲くそうですね。
by 竹間忠義 (2017-12-01 10:03) 

竹間忠義

臨済宗建長寺派の宝泉禅寺。開祖は鎌倉建長寺の曇芳同応大和尚、創建は元徳年間(1330年頃)当初は姥久保(現新町、中央高速が通るあたり)にあったが火災にあい、現在の地に再建。墓所内には新選組六番隊長・副長助勤井上源三郎(戒名:誠願元忠居士)の墓碑。春先には寺院緑地に昔を忍ぶカタクリが可憐な花を咲かせる。本尊は釈迦如来、脇侍に文珠菩薩普、賢菩薩。また、「持ち上げ観音」の名で知られる、持ち上げた時に感じる重さによって吉凶を占う、約36cmの馬頭観音の石像も歴史を語っているようだ。
by 竹間忠義 (2017-12-02 11:34) 

アテンザ23Z

>竹間忠義さん
度々ご訪問頂き、恐縮です。
竹間加賀入道の菩提寺は宝泉禅寺なのですね。ネットで調べたのですが、日野市が新撰組所縁の地であることを前面に出して観光案内を作っているので、宝泉禅寺に関する情報といえば、新撰組の井上源三郎の墓所の話しか出てきませんでした。貴重な情報ありがとうございました。
by アテンザ23Z (2017-12-03 22:29) 

竹間滋

はじめまして、厚かましくも突然書き込みませていただきます。埼玉県に住んでいます。竹間ともうします。以前からこの苗字は珍しく、在住の市内に数件のみは県内にもほとんどない。といったこともあり、この苗字のいわれやルーツはどんなだろうと、子どものころから思いをめぐらしていました。地図で県内に竹間沢と言う地名のところに竹間神社と言うのがあり、きっと大陸からの渡来人の系列であろうかと私見していました。現地には碑を見ても石塔などにも竹間の文字はなく三十神社と名乗っていたのを神仏分離で改め地名を取ったとありました。にしても「たけま」ではなく「ちくま」と読むところが地名にしても何か由来を察するに値するかと思いました。
さて、日野の加賀入道の碑の件を知り平成31年1月31日に現地図書館で関係書籍三冊を見せていただき、現場の石碑を見に行きました。木にはさまれてなんともいえないものでした。帰宅し宝泉寺の菩提寺のことを知り問い合わせたところ、個人情報なのでお話できないとのことでした。もう少し掘り下げるために、加賀入道が赴いた鉢形城関係の話しを伺いに歴史館の館長さんに話を伺いに近日訪問する予定です。私は直接加賀入道とは関係がないのかもしれませんが、竹間を名乗る流れを探ってゆきたいともっています。お手数かと思いますが、これを機によろしくお願いいたします。
by 竹間滋 (2019-02-08 13:08) 

アテンザ23Z

>竹間滋さん
当ブログをご訪問頂きありがとうございます。
竹間つながりですね。奇縁です。
あまりお役に立てないと思いますが、今後とも宜しくお願い致します。
by アテンザ23Z (2019-02-08 22:16) 

竹間忠義

埼玉県に住んでおられる「竹間滋」さんこのプログに訪問されたのですね。感無量です。仏縁です。でも血縁は不明です。しかし竹間加賀源正延入道了海が多摩川の地で自刃(41歳)されていることは事実でしょう。また関係ある人が全国に逃れたことも事実でしょう。福井県の「竹間の性」は現在分家です。私の家が本家です。しかし日野との関係は分かりません。宝泉禅寺は火災にあって現在地にあります。日野市教育委員会発行(1994年)の文化財誌・市史を頂いています。我が家の「竹間の姓」は明治元年登記。(戸籍法発令明治3年)
by 竹間忠義 (2019-02-15 20:50) 

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