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長浜氏館(埼玉県上里町) [古城めぐり(埼玉)]

DSC03259.JPG←外郭の土塁と堀跡
 長浜氏館は、浮浜城とも呼ばれ、武蔵七党丹党の一流長浜氏の居館である。新里恒房の子三郎信光が長浜の地に分封されて長浜氏を称した。長浜氏の事績としては、南北朝時代に一族の長浜六郎左衛門光経が、新田義貞の鎌倉攻めに従軍して以来、一貫して新田氏に従い、1337年の越前金ヶ崎城の戦いで、義貞の嫡男新田義顕と共に討死したことが太平記に記されている。金ヶ崎城の戦いは、長い籠城戦で城中の軍馬の肉を食い尽くし、落城の際には死者の肉まで口にして戦うという凄惨な戦いであったが、長浜氏は新田一族の由良氏と共に、「喉が渇けば己が傷から流れる血を受けて飲み、力落ちれば前に倒れている死人の肉を切って食い」ながら木戸口を守り通し、最後は寄せ手(北朝方)の総大将の一人、高越後守師泰の陣に突撃して壮絶な最後を遂げたという。時代は下って戦国後期になると、小田原北条氏の家臣笠原掃部が城主であったが、1582年の神流川の戦いで落城し、そのまま廃城になったと言う。
 長浜氏館は、現在宅地化されているが、宅地外周にわずかに堀や土塁の名残を見ることができる。つい数年前まで堀跡が良好に残っていたようだが、現在はコンクリート製の水路に変貌し、かなり景観が変わってしまっている。それでも城の外郭線をあらかた追うことができるのは、幸いである。尚、集落の入り口には立派な石碑が建てられている。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.245104/139.108082/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
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