滝の城発掘調査説明会 [城郭よもやま話]
←三ノ郭の謎の大穴
昨日(2/2)、滝の城の発掘調査説明会が開催された。滝の城といえば、小田原北条氏の滝山衆の頭領にして、下野・常陸方面軍の軍事指揮官北条氏照公の持ち城。これは、北条ファンとしてはなんとも見逃せない一大イベント!ということで、満を持して参加した。
以前に初めて滝の城を訪れたのは草木の生い茂る盛夏であったが、今回は真冬ということで、藪もなく遺構の状況が非常にわかりやすい。
参加したのは10時の回で、A・B2班に分かれて説明を聴く。
最初に滝の城の概要説明。
滝の城は、元々関東管領山内上杉氏の重臣大石氏が、敵対する扇谷上杉氏の重臣太田氏の3城(河越城・江戸城・岩付城)に備えて築いた境目の城を、河越夜戦を制した小田原北条氏が接収。外郭の外堀(現在は宅地部)からは北条氏に関連が深い畝堀が検出されているので、北条氏時代に外郭が新たに作られたと考えられている。北条氏時代は城主はなく、清戸の村衆(半農半武士)の輪番制だったらしい。
続いて本題の発掘調査結果。今回発掘されたのは、馬出しと三ノ郭である。
まず馬出しは、主郭との間に架けられていたはずの四脚門の馬出し側の橋脚部の発掘を狙ったが、人工的な加工の跡は検出されたものの、橋の存在は確定できなかったそうだ。馬出しから外殻部に繋がる土橋部分には、石敷きが検出され、虎口の存在が明確になった。この虎口からは炭化材(要するに「炭」)の破片も検出されており、戦闘によって門が焼け落ちた可能性が高い。
次の三ノ郭では、郭内北側に窪みがあったため掘り下げたところ、深さ4m以上の大穴の存在が判明したそうだ。どんどん掘り下げていったがまだ底まで到達しておらず、井戸跡かどうかの確証はまだないとのこと。三ノ郭は、周りを中堀で囲まれた独立区画になっているので、北条氏が得意とした籠城戦の際には水便が悪いなど不具合があって、新たに井戸を掘った可能性も考えられると言う。
この他では、以前の発掘調査結果の紹介があり、二ノ郭の北半分からは建物跡が検出されなかったとか、土塁の内側の造成がやや粗く、急拵えの印象が強いことから、ニノ郭は新たに造られた新しい曲輪であった可能性が出てきたらしい。主郭とニノ郭の間の内堀は、大石氏時代には一繋がりの傾斜した曲輪だったものを、北条氏時代に内堀を新たに掘って区画した可能性もある様だ。
また、馬出しからニノ郭を経ず、直接木橋で主郭に繋ぐ構造は、防御面上は不利となる。滝の城が北条氏の版図に完全に組み込まれ安定した時代に、北条氏照が北関東遠征の折の、軍の休憩所として使用した際に、主郭に行きやすいように改修したなどの可能性が考えられるそうだ。
発掘調査内容としては、県史跡という予算の制約のせいか、それほど大規模なものではなかったが、継続的に発掘が続けられ、遺構の全容が解明されていくことは素晴らしい。いずれは内堀も発掘するそうなので、更なる発見に期待したい。
←馬出し虎口の石敷き遺構
こちらは以前の大穴部の状況→
(前回訪城時の2009年当時)昨日(2/2)、滝の城の発掘調査説明会が開催された。滝の城といえば、小田原北条氏の滝山衆の頭領にして、下野・常陸方面軍の軍事指揮官北条氏照公の持ち城。これは、北条ファンとしてはなんとも見逃せない一大イベント!ということで、満を持して参加した。
以前に初めて滝の城を訪れたのは草木の生い茂る盛夏であったが、今回は真冬ということで、藪もなく遺構の状況が非常にわかりやすい。
参加したのは10時の回で、A・B2班に分かれて説明を聴く。
最初に滝の城の概要説明。
滝の城は、元々関東管領山内上杉氏の重臣大石氏が、敵対する扇谷上杉氏の重臣太田氏の3城(河越城・江戸城・岩付城)に備えて築いた境目の城を、河越夜戦を制した小田原北条氏が接収。外郭の外堀(現在は宅地部)からは北条氏に関連が深い畝堀が検出されているので、北条氏時代に外郭が新たに作られたと考えられている。北条氏時代は城主はなく、清戸の村衆(半農半武士)の輪番制だったらしい。
続いて本題の発掘調査結果。今回発掘されたのは、馬出しと三ノ郭である。
まず馬出しは、主郭との間に架けられていたはずの四脚門の馬出し側の橋脚部の発掘を狙ったが、人工的な加工の跡は検出されたものの、橋の存在は確定できなかったそうだ。馬出しから外殻部に繋がる土橋部分には、石敷きが検出され、虎口の存在が明確になった。この虎口からは炭化材(要するに「炭」)の破片も検出されており、戦闘によって門が焼け落ちた可能性が高い。
次の三ノ郭では、郭内北側に窪みがあったため掘り下げたところ、深さ4m以上の大穴の存在が判明したそうだ。どんどん掘り下げていったがまだ底まで到達しておらず、井戸跡かどうかの確証はまだないとのこと。三ノ郭は、周りを中堀で囲まれた独立区画になっているので、北条氏が得意とした籠城戦の際には水便が悪いなど不具合があって、新たに井戸を掘った可能性も考えられると言う。
この他では、以前の発掘調査結果の紹介があり、二ノ郭の北半分からは建物跡が検出されなかったとか、土塁の内側の造成がやや粗く、急拵えの印象が強いことから、ニノ郭は新たに造られた新しい曲輪であった可能性が出てきたらしい。主郭とニノ郭の間の内堀は、大石氏時代には一繋がりの傾斜した曲輪だったものを、北条氏時代に内堀を新たに掘って区画した可能性もある様だ。
また、馬出しからニノ郭を経ず、直接木橋で主郭に繋ぐ構造は、防御面上は不利となる。滝の城が北条氏の版図に完全に組み込まれ安定した時代に、北条氏照が北関東遠征の折の、軍の休憩所として使用した際に、主郭に行きやすいように改修したなどの可能性が考えられるそうだ。
発掘調査内容としては、県史跡という予算の制約のせいか、それほど大規模なものではなかったが、継続的に発掘が続けられ、遺構の全容が解明されていくことは素晴らしい。いずれは内堀も発掘するそうなので、更なる発見に期待したい。
←馬出し虎口の石敷き遺構
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