大沼氏館(埼玉県深谷市) [古城めぐり(埼玉)]
←東側に残る堀跡
大沼氏館は、大沼弾正忠屋敷とも呼ばれ、深谷上杉氏の家臣大沼弾正忠繁忠の居館である。その事績は不明であるが、西蔵寺境内にある墓碑によれば1606年10月25日没とあるので、戦国後期の北条・上杉・武田という3強が覇権を争う関東三国志の時代から、徳川幕府成立までの時代を、深谷上杉氏の元で生き抜いた武人であった様である。
大沼氏館は、現在の西蔵寺境内に当たる。僅かではあるが周囲に堀跡が窪地となって残っており、その規模を推測することができる。深谷上杉氏の居城深谷城から1kmと離れていない位置にあり、中世のものとしてもささやかな規模の城館であることから、深谷上杉氏の家臣団の中でも旗本クラスの中級武士の屋敷だったのではないかと想像される。事績が伝わっていないことからしても、その当たりの階級と考えるのが妥当と思う。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.204633/139.279937/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
大沼氏館は、大沼弾正忠屋敷とも呼ばれ、深谷上杉氏の家臣大沼弾正忠繁忠の居館である。その事績は不明であるが、西蔵寺境内にある墓碑によれば1606年10月25日没とあるので、戦国後期の北条・上杉・武田という3強が覇権を争う関東三国志の時代から、徳川幕府成立までの時代を、深谷上杉氏の元で生き抜いた武人であった様である。
大沼氏館は、現在の西蔵寺境内に当たる。僅かではあるが周囲に堀跡が窪地となって残っており、その規模を推測することができる。深谷上杉氏の居城深谷城から1kmと離れていない位置にあり、中世のものとしてもささやかな規模の城館であることから、深谷上杉氏の家臣団の中でも旗本クラスの中級武士の屋敷だったのではないかと想像される。事績が伝わっていないことからしても、その当たりの階級と考えるのが妥当と思う。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.204633/139.279937/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
タグ:居館 武蔵深谷上杉氏の城郭
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