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薩埵山陣場遺構群(静岡県静岡市清水区) [古城めぐり(静岡)]

DSC00142.JPG←大規模な東堀切遺構
 薩埵山陣場遺構群は、薩埵山合戦の際に築かれた陣城遺構である。歴史的経緯は薩埵山古戦場の項に詳述したが、ここには前後3回軍勢が布陣している。最初は、1351年の観応の擾乱の際に、足利尊氏が布陣したもの。次は1568年に、今川氏の軍勢が駿河に侵攻した武田氏から駿府を防衛するため布陣したもの。最後はその翌年、駿府を占領した武田氏に対して、今川氏を支援する小田原北条氏の軍勢が布陣したもの。現在残された遺構群は、この3度に渡る布陣の際の複合遺跡であるが、特に北条氏が布陣したものが、軍勢の規模も布陣の期間も圧倒的で、遺構の殆どを占めていると推測されている。

 薩埵山陣場遺構群は、薩埵山から北方の浜石岳に伸びる尾根上に全長約2.5kmに渡って築かれている。その詳細は、静岡古城研究会発行の『静岡県の城跡』に記載されている。尾根上には現在でも、陣場、陣場口、西堀切、廓、釜場、東堀切など、城砦関係の地名が残っている。ここにはハイキングコースが伸びており、それに沿って主要な遺構を見て回ることができる。特に重要な遺構は3つ。まず、「東堀切遺構」。これは遺構群の中でも圧倒的な存在感を示す雄大な堀切(竪堀)で、幅約20m、深さは最大で10m程に達する圧巻の遺構である。堀の東側に沿って土塁が盛られ、櫓台らしいものも確認できる。2つ目は「鯵ノ平遺構」で、広い数段の曲輪群と枡形状の地形、更に下方の谷戸には横堀状遺構が確認できる。ここは周辺3ヶ所に残る「陣場」地名に囲まれた場所で、北条軍の主力が布陣した場所ではないかと静岡古城研究会が推測している。3つ目は、標高500mの最高所「陣場山」に築かれた「久留ハ(くるわ)遺構」で、広い緩斜面が広がっている。明確な遺構には乏しいが、腰曲輪状の平場や小規模な堀切が残っている。小規模で形式が古いことから、尊氏軍の本陣か今川軍の陣場と推測されている。この他にも、数ヶ所に堀状遺構が残るなど、1日潰すつもりでゆっくり歩けば、かつての武将たちの息吹に思いを馳せることができる。
鯵ノ平遺構の枡形遺構→DSC00159.JPG
DSC00230.JPG←久留ハ遺構の堀切

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:【陣場山の久留ハ遺構】http://maps.gsi.go.jp/#16/35.091997/138.536900/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0

    【東堀切遺構】http://maps.gsi.go.jp/#16/35.079352/138.538706/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0

    【鯵ノ平遺構】http://maps.gsi.go.jp/#16/35.084939/138.535570/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0


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