SSブログ

横山城(静岡県静岡市清水区) [古城めぐり(静岡)]

DSC00303.JPG←主郭背後の堀切
 横山城は、興津城とも呼ばれ、今川氏の重臣となった国人領主興津氏の居城である。興津氏は入江氏の一族で、入江右馬允維清の孫維道を祖とすると言われている。平安末期にはこの地に入部していたらしく、『保元物語』や『承久記』にその名が見える。南北朝時代に足利氏の一族今川氏が駿河守護となると、興津氏はその被官となり、延文年間(1356~61年)に興津館より本拠をこの地に移し、山上に横山城を築き、山麓に土塁を巡らした居館を構えた。興津氏は連歌師宗長と親交があり、『宗長手記』に城のことが記されている。興津氏は今川氏の下で勇名を馳せたが、1568年に武田信玄が駿河に侵攻すると、落城して武田氏の支城となった。武田氏は城を改修して一族の穴山梅雪に守らせた。1569年、今川氏救援のため出兵した小田原北条氏の大軍が薩埵山に陣を構えると、横山城を最前線の拠点とした武田氏は3ヶ月に渡って北条勢と興津川を挟んで対峙し、両軍の間で度々激しい戦闘が行われた。その後、駿河を制圧した武田氏は、横山城に城番を置いて支城として重視したが、1582年に武田氏が滅亡すると、廃城となった。

 横山城は、興津川西岸に突き出した標高97m、比高67mの山上に築かれた山城である。Y字状に曲輪を連ねた縄張りで、主郭背後には堀切を挟んで西曲輪を置き、その南と西に腰曲輪を連ねている。南側の腰曲輪群には、横堀が巡らされている。主郭は背後に土塁があり、急峻な10mの切岸となっている。全体にかなり藪化が進んだスーパー薮城で、遺構が良好なのに曲輪も堀切も横堀も薮で埋もれており、遺構の把握が難しい。せっかく石碑や解説板が城の入口にあるのに、全く未整備なのは残念である。また、南麓には居館があり、民家とミカン畑になっているが、周囲に土塁が残っている。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.078468/138.518410/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 3

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント