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花沢城(静岡県焼津市) [古城めぐり(静岡)]

DSC01705.JPG←主郭~ニノ郭間の大堀切
 花沢城は、武田信玄の駿河制圧の際に激戦が展開された城である。花倉の乱に勝利して今川家の家督を継承した今川義元は、1537年に遠江と接する西駿河の押さえとする為、花沢城、徳一色城(後の田中城)の2城を築城した。今川氏の時代には駿府への西の交通路を押さえる関門としての役割を担ったと考えられ、天文年間(1532~55年)には関口越後守氏録が在番したとされる。1568年12月に始まった武田信玄の駿河制圧戦は、1570年1月の花沢城・徳一色城の攻略を以って完了したが、この際武田勢は大原肥前守資良の籠もる花沢城を包囲し、14日間の激戦の末開城させた。その後、花沢城は廃城になったと思われる。

 花沢城は、東名高速と国道1号線の日本坂トンネル手前の西側にそびえる標高140mの丘陵上に築かれた城である。広やかな主郭とニノ郭を大堀切で分断した一城別郭構造で、その周囲に腰曲輪を廻らしただけの簡素な縄張りである。主郭北側には浅い堀切に土橋が架って出曲輪に繋がっている。この他、周辺の広い範囲に平場が散在し、大手とされる西側にも堀跡の切通し道とその両側に大手曲輪と考えられる平場が存在する。城の中枢部は、主郭だけは城址碑が建って整備されているが、腰曲輪やニノ郭は茶畑の耕作放棄地となっており、茶の薮で覆われており遺構の探索が容易ではない。いずれにしても縄張り的にはささやかな城で、遠く三河まで版図を広げた義元の時代には、膝下の西駿河は既にそれほどの厳重な防備を必要としなかったことを物語っている。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/34.898146/138.331035/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
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