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千頭峯城(静岡県浜松市北区) [古城めぐり(静岡)]

DSC05742.JPG←南曲輪の横矢掛かりの囲郭
 千頭峯城は、南北朝時代に遠江南朝方の柱石であった井伊氏の支城である。井伊氏は三岳城を本城とし、周囲に城砦群を築いて北朝の足利方に抵抗したが、千頭峯城は井伊氏の城砦群の内、西方最大の拠点であった。守将は、井伊氏一族の奥山朝藤と言われ、その他に南朝方廷臣や浜名神戸庄庄官県氏、大江氏など数百騎が籠城した。1339年、足利尊氏は高一族を下向させ、大将の高越後守師泰(尊氏の執事高師直の弟)は大平城に向かい、高尾張守師兼(師直の従兄弟)は鴨江城を陥した後、千頭峯城を3ヶ月にわたって攻囲し、10月30日に落城させた。この頃の高一族は各地を転戦し、その働きには目覚ましいものがあった。その後の千頭峯城の歴史は伝わっていないが、現在残る遺構からは戦国時代にも利用されたと推測されている。

 千頭峯城は、湖北五山の一つ摩訶耶寺の背後にそびえる標高137.7m、比高118mの城山に築かれた山城である。登山道が整備されており、比高も大したことはないので簡単に登ることができる。主郭を中心に三方の広い尾根上に曲輪を展開しており、要所を堀切で分断している。主郭は二ノ郭等の周りの曲輪からの高低差が大きく、切岸だけで防御を固めている。深い切れ込みの入った坂虎口があり、そこから下の曲輪への道が通じている。東曲輪群は土塁はなく、数段の平場と2本の堀切だけで構成された簡素な作りである。西曲輪群は、ニノ郭との間に堀切を穿ち、中心郭は周囲を低土塁で囲んだ囲郭となっている。その先にも数段の平場が広がるが、削平は甘くどこまでが城域かも明確ではない。西曲輪群から繋がるニノ郭の虎口は、原初的な枡形虎口となっている。最後の南曲輪群は最も縄張り的に優れており、中心郭は西曲輪群と同様、周囲を低土塁で囲んだ囲郭となっている。しかしただの方形囲郭ではなく、横矢掛かりまで備えられている。またこの上方の腰曲輪群には、横堀が直角に曲がって竪堀に変化して落ちており、前述の横矢と合わせて、この辺の遺構は戦国期の改修によるものと考えられる。比較的小規模な城であるが、囲郭が見事に残っているなど、その歴史と合わせて興味深い。
ニノ郭の枡形虎口→DSC05681.JPG
DSC05734.JPG←横堀から落ちる竪堀
 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/34.821170/137.559597/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
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