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馬伏塚城(静岡県袋井市) [古城めぐり(静岡)]

DSC08575.JPG←南郭群の馬出し郭跡
 馬伏塚城は、徳川家康が改修した、高天神城攻略の為の作戦拠点である。築城時期は明確ではないが、1501年に駿河の今川氏親が遠江の斯波氏勢力と、遠江の支配を巡って激しい戦闘を繰り広げた際には、久野城天方城と共に今川方の拠点となった。明確に確認できる最初の城主は小笠原春茂で、福島正成が今川氏に背いて小田原北条氏の元に逃れると、高天神城主も兼帯した。その子氏清も今川氏に属して、馬伏塚城・高天神城両城主を務めたが、1568年に今川氏から離反して徳川家康に仕え、69年に没した。1574年6月、武田勝頼が高天神城を攻略すると、徳川家康は馬伏塚城を修復し、大須賀康高に守らせて武田氏に備えた。翌75年、長篠合戦で大敗した勝頼は劣勢となり、反転攻勢に出た家康は馬伏塚城を高天神城攻めの前線基地とした。1578年に新たな前進基地として大須賀康高に横須賀城を築かせると、康高をそのまま横須賀城将に据え、1580年に高天神城攻めが本格化すると、高力与左衛門清長を馬伏塚城主とした。その後、高天神城が落城、更に82年には武田氏が滅びると馬伏塚城はその戦略的価値を失い、同年8月、清長が田中城に移ると、馬伏塚城は廃城となった。

 馬伏塚城は、平地の只中の低台地を利用して築かれた城で、大きく北郭群と南郭群に分かれている。宅地化で改変されているが、遺構は比較的明瞭である。特にその形状がわかりやすいのが南郭群で、曲輪跡は周囲の水田より一段高くなっていて、主郭には土塁・櫓台が残り、周囲には堀跡や馬出しが残っている。北郭群はより改変が進んでいるが、民家に変貌した主郭には土塁らしき跡が残り、西側には堀跡が残っている様である。また居館域であったと推測されている了教寺のある高台にも、北端に堀跡らしい窪みと切岸が残っている。宅地化されている割には、往時の縄張りをよく残した城である。

お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:【北郭群】http://maps.gsi.go.jp/#16/34.712355/137.933532/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0

    【南郭群】http://maps.gsi.go.jp/#16/34.710521/137.933747/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0


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