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堀之内城山城(静岡県浜松市天竜区) [古城めぐり(静岡)]

DSC09056.JPG←東尾根の塁段
 堀之内城山城は、徳川家康が犬居城攻めの為に築いた付城と考えられている。犬居城主天野氏は、今川氏が弱体化すると、一度は徳川方に付いたが、その後武田信玄が遠江に進出すると武田氏に寝返って、翌72年の信玄の西上作戦で武田軍の先導を務めるなど、遠江における武田氏の尖兵として活動した。その為、徳川家康は激怒して犬居城を2度にわたって攻撃した。一度目の74年の攻撃では徳川軍は撃退されたが、翌75年には武田勝頼が長篠合戦で大敗し、76年に再び徳川軍は大挙侵攻し、犬居城を落城させた。堀之内城山城は、この2度に渡る犬居城攻撃の際に、徳川方の本陣として構えられたものと推測されている。

 堀之内城山城は、標高330mの「堀之内の城山」と呼ばれる山頂に築かれた山城である。犬居城からは、南東1.4kmの地点に位置している。山頂に仕切り土塁で区画された主郭とニノ郭を置き、北斜面に1段のやや広い腰曲輪と、東尾根に4段程度の段曲輪を連ね、2つの小堀切を穿っただけの、簡素な造りの小規模な陣城である。二ノ郭直下の段曲輪には浅い横堀も築かれている。また、主郭背後には土塁が築かれ、その脇に搦手虎口が造られている。この構造から考えると、現在道は途絶しているが、急峻な西斜面にも搦手道があった様である。陣城とはいえ、本格的な普請がされていることがわかる。

 同じ家康の築いた小笠山砦と比べると、規模はともかく、縄張りも大きく異なっており、徳川氏が西遠江での攻防の中で武田氏の築城技術を取り込んでいった過程を垣間見ることができる。また、谷戸を挟んで北西わずか400mの位置に、若身城山城があるが、こことの関係はわかっていない。犬居城攻撃の際には、若身城山城も当然徳川勢に押さえられたと思われるが、若身城山城だと犬居城の正面過ぎて、敵からもこちらの動きが丸見えになるため、わざわざちょっと奥の山に新たに堀之内城山城を築いたのかもしれない。

 尚、城址は近年、発掘調査が行われ、案内板も整備されているので遺構の確認がしやすい。ハイキングコースも整備されているので、藪漕ぎの苦労をすることなく遺構が見れる。
東尾根の堀切→DSC09097.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/34.952071/137.899787/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
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