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高藤城(静岡県掛川市) [古城めぐり(静岡)]

DSC09769.JPG←北東方面から見た城址遠望
 高藤城は、原谷郷の土豪原氏の居城である。原氏は、1185年、源頼朝が平家追討に功のあった原三郎清益を原谷郷に入部させたことに始まる。最初は本郷城を居城とした。清益は幕府の御家人として鎌倉に住し、1193年の富士の巻狩りの際、仇討のため工藤祐経を夜襲した曾我十郎・五郎兄弟と斬り結び、重傷を負ったことが『曾我物語』などに記されている。8代忠益の時、南北朝の動乱期に遭遇し、嫡子忠清と共に南朝方に付いて北朝方の今川氏に対抗する為、新たに山城の高藤城を築いたとされる。時代は下って戦国時代後期の1572年、西上作戦を開始した武田信玄が遠江に侵攻すると、原氏は武田氏に属した為、翌73年に徳川勢に高藤城を攻め落とされて、原氏は没落した。

 高藤城は、掛川市殿谷の標高140mの山頂一帯に築城されていた山城であったが、現在はゴルフ場が建設されて、城は完全に破壊されたらしい。国土地理院の地形図を見ても、既にこの付近に標高100mを超える山が存在せず、ゴルフ場の造成に伴って山自体が消滅している。その為、明確な場所も不明となっている。この山地の北西尾根の先だけが旧状を留めているようだったので、遺構を求めて探索してみたが徒労に終わった。悲しい運命を辿った城である。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/34.802263/137.964431/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
    (推定地)
タグ:中世山城
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