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湯島城(静岡県静岡市葵区) [古城めぐり(静岡)]

DSC00154.JPG←主郭西尾根の土橋・堀切
 湯島城は、駿河南朝方として安倍城で奮戦した狩野氏が、室町時代に築いた山城である。当初は、南北朝の争乱期に安倍城北方の押えの支城として築かれたと言われ、その後、今川氏に降伏した狩野介貞長の後裔が、湯島城を居城としたらしい。1433年、駿河守護今川範政が死ぬと、将軍足利義教や今川家重臣朝比奈氏・岡部氏・矢部氏らが支持する次男範忠と、鎌倉公方足利持氏らが支持する末子の千代秋丸が、その後継を巡って国内を二分して争った。これが「永享の内乱」と呼ばれ、京都の将軍義教と鎌倉公方持氏との対立を背景とした代理戦争の一面を持ち、駿河国内は騒乱状態となった。この時、国人領主興津氏・由比氏・富士氏らと共に、狩野氏は千代秋丸派に加担して争った。しかし室町幕府や遠江今川氏の援軍が派遣され、今川貞秋(遠江今川氏)を主将とする遠江・駿河の軍によって、狩野氏が立て籠もる湯島城は攻められ落城した。

 湯島城は、安倍川東岸の標高303m、比高163mの山上に築かれている。主郭と二ノ郭と思われる東西2郭から成ると考えられているが、主郭は茶畑の耕作放棄地となり改変され、曲輪内は削平も甘く、明確な形状は不明である。わずかに外周に腰曲輪状の一段低い平場が見られる程度である。しかし主郭西の尾根には土橋の掛かった堀切とその先の細長い小郭が残る他、ニノ郭の北東尾根にも堀切が残っていて、城郭遺構であることは明確である。後世の耕地化による改変があるのではっきりしない部分もあるが、戦国期以前の素朴な古い山城の形態を残している。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.111136/138.366089/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
タグ:中世山城
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