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小長谷城(静岡県川根本町) [古城めぐり(静岡)]

DSC00494.JPG←丸馬出
 小長谷城は、小長井城とも言い、この地の土豪小長谷氏の居城である。小長谷氏は、一説には、南北朝時代に徳山城で北朝方に抵抗した鴇氏の後裔と言われるが、明確ではない。室町時代には今川氏に属し、1568年に武田信玄が駿河に侵攻して、今川氏を逐って駿河を併呑すると、小長谷氏は武田氏に降った。その後、1575年の長篠の戦いで武田氏が大敗し、徳川氏が武田領を蚕食すると共に、小長谷城は改修を受けたと推測されている。廃城時期も明確ではなく、1582年の武田氏滅亡の前後ではないかと考えられている。

 小長谷城は、大井川東岸の段丘上に築かれた城である。城域は、主城部が現在の徳谷神社の境内に当たり、副郭部にはB&G海洋センターが建てられている。その為、城地北半の副郭部は破壊を受けて遺構は湮滅しているが、南半の主城部はほぼ遺構を残している。主城部は最上段に本丸を置き、西に階段状にニノ丸・三ノ丸を築いた梯郭式の縄張りとなっている。主城部は外周に土塁を築き、西面と東面に大きな空堀を穿ち、防御を固めている。特に東側は二重空堀となっている。又、西側の三ノ丸大手は参道で破壊を受けているが、枡形虎口の土塁が明瞭に残り、その近くには井戸も残っている。しかし何よりこの城の白眉は、本丸南東裏に築かれた二重馬出しで、内側は武田氏の城でよく見られる丸馬出となって、外周を三日月堀が囲み、外側は角型の馬出しとなって、それぞれ外部と土橋のみで連絡している。この他、二ノ丸の搦手にも枡形が築かれている。基本的には単純な構造の比較的小規模な城であるが、二重馬出し部の複雑な構造が見所である。
主郭背後の空堀→DSC00491.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.102167/138.140400/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
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