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堀川城(静岡県浜松市北区) [古城めぐり(静岡)]

DSC01183.JPG←城址碑と首塚
 堀川城は、気賀の土豪、斎藤為吉・竹田右京・新田四郎・山村修理・尾藤主膳らが築いた城柵である。戦国時代、この地は今川氏の勢力下にあり、今川義元が桶狭間で討たれ、今川氏が弱体化すると、1568年にこの地の今川方の土豪達は、徳川家康の遠江侵攻に備えて堀川城と刑部城を築いた。1568年、刑部城を落とした家康は、翌69年3月27日、3千の軍で堀川城を攻めた。土豪達は農民ら2000人と城に立て籠もって抵抗したが、間もなく落城し、男女共1000人がなで斬りにされ、捕虜となった人々も700人余が首を討たれたと、戦いに参加していた大久保彦左衛門の『三河物語』に記載されている。
 堀川城は、浜名湖畔に築かれた平城であったが、現在は耕地化で完全に湮滅している。わずかに城址碑と首塚が残っているだけである。尚、近くの気賀宿には関所跡や気賀宿西入口の枡形、斬首された首が晒された獄門畷などが残っている。又、城址から西に1.5km程の所には、城を逃れた後燃え落ちる堀川城を見ながら切腹して果てた城将山村修理の墓が残っている。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/34.803074/137.646171/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
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