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樽山城(静岡県浜松市天竜区) [古城めぐり(静岡)]

DSC01348.JPG←先端の堀切と小郭
 樽山城は、犬居城主天野氏の支城である。天野氏の所領の東端、遠駿両国の山間部を結ぶ街道の要衝に位置し、関所的な機能を有する城であった為、勝坂城と並んで重要な支城であったと言う。天野氏は、今川氏没落後、徳川氏に属したが、武田信玄が遠江に侵攻すると、武田氏に降ってその尖兵となって活動した為、徳川家康は激怒して犬居城に攻め寄せた。一度目の1574年の攻城戦で惨敗した徳川勢は、長篠合戦の翌年の76年に再び大挙侵攻した。一度目の敗戦の経験から、武田方の後方支援を遮断する為、家康はまず周辺の支城の攻略に取り掛かり、樽山城は真っ先に攻め落とされ、城兵は勝坂城に敗退した。この時の城主は、天野兵衛佐とも天野助兵衛とも言われており、いずれにしても天野氏の一門衆が守る重要な城であった様だ。
 樽山城は、樽山南東の敷原沢の蛇行部にそびえる標高629mの山上に築かれている。物凄い山間の奥地に築かれており、ここまで来るのは車でも大変である。大井川沿いから境川ダム近くで国道362号線を西に入り、クネクネ道を10kmほど走り、そこから更に分岐した車道を4km以上走らなければならない。しかもこの分岐した車道は、途中落石も多く、城址まで数百mの所で進めなくなった為、そこに車を置いて歩いて訪城した。登城口に解説板が建ち、道も付いているので登城は容易である。小規模な連郭式の山城で、ニノ郭・主郭・三ノ郭の順に並んでおり、登城道を登ると腰曲輪と枡形虎口を経由して三ノ郭に至る。三ノ郭には僅かな空堀と枡形虎口の土塁が築かれている。主郭は狭小な曲輪で、ニノ郭との間には堀切が穿たれている。ニノ郭の下方の尾根筋には更に小郭が置かれ、堀切を介して尾根先端の物見曲輪に至り、城域が終わっている。いずれの曲輪も狭小で、20人籠もるのが精一杯の感じで、徳川勢に一斉攻撃されたらひとたまりもなかっただろう。しかしこの手の小規模な城にしては、明確な枡形虎口だけが異彩を放つ遺構である。
三ノ郭の枡形虎口→DSC01328.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.013240/138.006597/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
タグ:中世山城
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