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中里楯(山形県山形市) [古城めぐり(山形)]

DSC01444.JPG←山上の屋敷地らしい平場
 中里楯は、二本堂楯とも言い、歴史不詳の山城である。『日本城郭大系』によれば、土生田楯主となった安食大和守の居館であったとされるが、『山形県中世城館遺跡調査報告書』ではそれへの言及がなく、伊達政宗と最上義光の間で軍事的緊張が高まった1588年、二口街道に面し、奥羽山系を挟んで伊達領と対峙する中里楯は、最上領の境目の城として重要な位置を占めていたものと推測している。
 中里楯は、標高343.4mの猪鼻山一帯に築かれた山城である。広い城域を持った城で、南東麓から大手道が残っている。この大手道に沿って大手曲輪群が築かれており、大手を登り切った先には広い平場が広がっている。ここは主城部の南下方に位置し、その規模と位置関係から山上に築かれた広い屋敷地であったと考えられる。ここから上方に腰曲輪群を経由して、山頂部の物見台とその北尾根の段曲輪群、更に鞍部を越えて広い主郭に至る。主郭などの主城部には多数の腰曲輪群が築かれている。堀切はほとんど無く、屋敷地から物見台に登る途中にわずかに2本の堀切があるが、浅いささやかなものである。中里楯は、規模の大きな山城であるが、多数の曲輪群だけで構成された技巧性の乏しい縄張りで、長谷堂城や天童氏の築いた新城山楯と共通するものがある。
山上の主郭→DSC01502.JPG
DSC01432.JPG←大手曲輪群
 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/38.297082/140.394621/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0

※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。
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