SSブログ

谷木沢楯(山形県中山町) [古城めぐり(山形)]

DSC01677.JPG←主郭から見た玄蕃屋敷
 谷木沢楯は、寒河江大江氏の家臣中山氏が築いた山城である。史料によれば、1464年に中山玄蕃頭朝勝が本城の長崎城の支城として築城し、1526年に廃されるまで62年間続いたとされ、寒河江大江氏と最上氏の領域の境目に位置し、最上氏の攻略に備え構築されたと推測されている。

 谷木沢楯は、標高246mの丘陵上に築かれた山城で、山頂の主郭から2つの沢筋に挟まれて北東に広がった緩斜面上に多数の曲輪を配置している。城内は、ほぼ全域がリンゴ畑に変貌しているが、無数の腰曲輪群がそのまま畑地として転用されているので、遺構の全貌をほぼ掴むことができる。主郭は周囲に腰曲輪を伴った方形の曲輪で、楯跡の標柱が建てられている。主郭の北東には玄蕃屋敷と呼ばれる広い曲輪があり、その先ニノ郭・三ノ郭と多数の腰曲輪を展開させながら広がっている。三ノ郭の先には車道を挟んで独立した高台があり、越後楯と呼ばれているらしい。ここにも頂部の方形の曲輪の周囲に、腰曲輪群が築かれている。一方、主郭背後には空堀があり、その先の曲輪の先の尾根にも堀切が穿たれて城域が終わっている。多数の兵を駐屯させることのできる、規模の大きな拠点的城郭であった様だ。
多数の腰曲輪群→DSC01652.JPG
DSC01709.JPG←城域端の堀切
 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/38.319386/140.244323/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0

※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。
nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 2

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント