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座喜味城(沖縄県読谷村) [古城めぐり(沖縄)]

DSC05635.JPG←ニノ郭の城門と城壁
 座喜味城は、15世紀の初頭、築城家としても名高い護佐丸によって築かれたグスクである。護佐丸は、中山股肱の大臣の子で、読谷山按司として北山防衛のため山田城を居城としていた。1416年、北山王の攀安知による中山(首里城)攻略の計画を察知した中山王尚思紹は、世子尚巴志に北山城(今帰仁城)攻略を命じ、護佐丸はこれに参戦した。北山攻略後、護佐丸は戦後処理の為に一時北山城に留まったが、その間に座喜味城を築き始めて居城としたと言う。その後、1440年に中城に移封となったが、発掘調査の結果からその後も使用されたことがわかっている。
 太平洋戦争の沖縄戦の時には、座喜味城一ノ郭に日本軍の高射砲陣地が築かれ、戦後は米軍のレーダー基地が置かれた。その為、遺構は破壊を受けたが、返還後に発掘と復元整備が行われ、かつての姿を取り戻した。

 座喜味城は、標高120mの台地上に築かれた総石垣のグスクである。比較的小規模な、一ノ郭とニノ郭から成るコンパクトにまとまったグスクで、城壁は綺麗な曲線を描きながら星形に廻らされている。一ノ郭とニノ郭には、共にアーチ状の城門が築かれ、この城門に対して横矢を掛ける様に、城壁が張り出している。特にニノ郭においては、本土の城で言う左袖の構造で、独自の文化圏を築いていた琉球においても似た様な築城技術が発展していたことが伺われる。ニノ郭外周の南東側には、石垣周囲に腰曲輪状の平場と石積みの残欠が確認できる。但し、前述の通り近代にかなり改変されているので、遺構かどうかは不明である。尚、グスクの北東にある小丘上の広場は位置的に出丸の様に見えるが、どうであろうか。
一ノ郭の全景→DSC05696.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/26.408456/127.741932/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
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イラブ

こんにちは、初めて訪れたのは小学生の夏休みでしたが当時軍施設だったため立入禁止でしたので兄とMPだった父に頼み込み連れていってもらいました。
主郭のアーチ門は跡形なく石垣もおおかた崩され残石がゴロゴロしていた状態だったと思います、確か写真はNGだったと・・・40年前の記憶です。
by イラブ (2014-01-14 00:39) 

アテンザ23Z

>イラブさん
復元前はひどい状態だったのですね。
昭和55年発行の日本城郭大系には、すでに復元後の写真が載っていますので、イラブさんの訪城からそれまでの間に返還・復元されたのですね。
by アテンザ23Z (2014-01-14 19:20) 

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