安慶名城(沖縄県うるま市) [古城めぐり(沖縄)]
←主郭の高石垣
安慶名城は、14世紀頃に安慶名大川按司が築いたとされるグスクである。安慶名按司は伊波城主伊波按司の子で、初めは兼箇段城を築こうとしたが、より築城に適したこの地にグスクを築いたと言われている。安慶名按司は、更に次男を屋良城に、3男を喜屋武城に封じたと言われ、大きな勢力を有していたらしい。
安慶名城は、天願川河畔にそびえる比高30m程の断崖に囲まれた小丘上に築かれたグスクである。グスクの北東側に円形の闘牛場があるが、その背後に豪壮な高石垣の壁がそびえ立っている。主郭と周囲を取り巻く腰曲輪から成る環郭式のグスクで、琉球のグスクでは珍しい縄張りとされる。主郭周囲は全周石垣で囲まれ、岩盤の裂け目を利用したトンネル状の城門が築かれている。主郭は巨大な岩塊によって大きく2つの区画に分かれ、その間は切通し状の木戸口となっている。石垣は、復元されたものもかなり混じっているようだが、糸数城と似た屈曲した外周の城壁と主郭の高石垣は、荒々しく見応えがある。
お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/26.380932/127.850357/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
安慶名城は、14世紀頃に安慶名大川按司が築いたとされるグスクである。安慶名按司は伊波城主伊波按司の子で、初めは兼箇段城を築こうとしたが、より築城に適したこの地にグスクを築いたと言われている。安慶名按司は、更に次男を屋良城に、3男を喜屋武城に封じたと言われ、大きな勢力を有していたらしい。
安慶名城は、天願川河畔にそびえる比高30m程の断崖に囲まれた小丘上に築かれたグスクである。グスクの北東側に円形の闘牛場があるが、その背後に豪壮な高石垣の壁がそびえ立っている。主郭と周囲を取り巻く腰曲輪から成る環郭式のグスクで、琉球のグスクでは珍しい縄張りとされる。主郭周囲は全周石垣で囲まれ、岩盤の裂け目を利用したトンネル状の城門が築かれている。主郭は巨大な岩塊によって大きく2つの区画に分かれ、その間は切通し状の木戸口となっている。石垣は、復元されたものもかなり混じっているようだが、糸数城と似た屈曲した外周の城壁と主郭の高石垣は、荒々しく見応えがある。
腰曲輪の石垣→
お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/26.380932/127.850357/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
タグ:琉球王国のグスク
ここは早い時期(60年代?)に復元の手が入ったようです。
琉球政府時代の仕事なので、もう誰もどこをさわったか判らなくなっているでしょうね。
周辺を返還した際に確か城跡にアミューズメント パークを造る計画があったと思いますがコケて良かったです。
by イラブ (2014-01-16 17:43)
>イラブさん
グスクにアミューズメントパークですか。それは計画コケて大正解ですね。早い時期の復元だと、あまり発掘調査もせずに復元(というか想像復元?)されたのでしょうか?でもあの石垣は素晴らしいですね。
by アテンザ23Z (2014-01-16 21:00)