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今帰仁城(沖縄県今帰仁村) [古城めぐり(沖縄)]

DSC06014.JPG←御内原からの眺望
 今帰仁城は、北山城とも呼ばれ、北山王の居城である。北山王統は、怕尼芝・珉・攀安知と続いた系統で、今帰仁城を歴代の居城とした。今帰仁城の創築は明確ではないが、発掘調査の結果からは13世紀頃には築城されたと考えられている。1416年、北山最後の王攀安知は密かに中山(首里城)攻略を企図していたが、淫虐無道であったために周辺の按司達は北山を恐れ、中山王尚思紹にその計画を告げて、北山攻略を進言した。思紹はこれを容れ、世子尚巴志に今帰仁城攻略を命じた。諸按司を率いた中山連合軍は今帰仁城を攻めたが、難攻不落の要害である上、攀安知の重臣本部平原が勇戦し、容易に落ちなかった。そこで巴志は計略を巡らし、敵将平原を調略して裏切らせ、遂に今帰仁城を攻め落とし、攀安知を滅ぼした。その後、中山は北部地域の管理のために監守を今帰仁城に設置し、1422年以降監守の居城となった。1609年、薩摩軍による琉球侵攻で城は炎上し、後に廃城となった。

 今帰仁城は、琉球王国のグスクの中でも大規模な遺構が残る屈指の名城である。標高105mの丘陵地に築かれたグスクで、最上部に主郭を置き、その北側に広がる緩斜面上に大庭・大隅などと呼ばれる曲輪群を石垣で区画している。特に大隅はかつての練兵場であったと言われ、外周に豪壮な石垣が築かれている。今帰仁の石垣は、弓なりに弧を描いた独特のもので、私には星形に見える。星形の角部は高くせり上がるようにそびえており、櫓台として機能していたのだろう。石垣の外周には窪地があるが、庭園跡か堀跡か、よくわからない。北側には外郭が広がり、その外周も前述同様な星形石垣が取り巻いている。但し外郭のものは、高さがかなり低い。一方、主郭の南東側には志慶真門郭があり、4つの建物が発掘されて見つかっているが、かなり傾斜した地勢の曲輪となっている。ここも他の琉球のグスク同様、かなり広範囲に石垣が復元されているようで、現在の姿がそっくりそのままの遺構ではないと思われるが、広大な総石垣のグスクで見応えがある。海の眺望も素晴らしい。
志慶真門郭の石垣→DSC06060.JPG
DSC05939.JPG←星形の豪壮な石垣
 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/26.690315/127.930373/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
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イラブ

以前は水牛に乗ったオジイが写真撮ったり土産売ったりしていましたが・・・
この近辺は旨いソバ屋が多い(かった?)のですよ!e
by イラブ (2014-01-18 11:04) 

ノリパ

沖縄は白い石垣の宝庫ですね。グスク初のファイブスター。海と空の青さと、石垣の白、緑の草木、絵になります。
by ノリパ (2014-01-18 14:44) 

アテンザ23Z

>イラブさん
今は、文化センターの前に屋台みたいなお店が出てましたね。焼きそばか何かを食べましたが。
by アテンザ23Z (2014-01-18 17:55) 

アテンザ23Z

>ノリパさん
天気が良い時は、沖縄のグスクは彩りが最高ですね。
でも、お話した地元の方の話だと、この間の春先は、中国から流れてきたPM2.5のスモッグで、海が見えなかったそうです。
by アテンザ23Z (2014-01-18 18:21) 

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