SSブログ

首里城(沖縄県那覇市) [古城めぐり(沖縄)]

DSC06287.JPG←瑞泉門への大手道
 首里城は、中山城とも呼ばれ、琉球王国の王城である。その創築は不明であるが、第一尚氏の時代、1406年に尚巴志が居城として以来、1879年に最後の国王尚泰が明治政府に明け渡すまで、王国の首府として政治・外交・文化の中心であった。佐敷按司の尚巴志は、1406年、察度王統(中山王)2代武寧王を攻め滅ぼし、父の尚思紹を中山王に即位させ、第一尚氏王統を開いた。その後、1416年に今帰仁城の北山王国を滅ぼし、巴志が王位を継いだ後の1429年に南山城の南山王国を滅ぼして、三山統一を成し遂げた。1462年、尚徳王の重臣であった金丸が王位に就き、尚円と称して第二尚氏王統を開いた。1609年、薩摩藩は琉球に侵攻し、尚寧王は和睦を申し入れて首里城を開城し、以後、琉球王国は薩摩藩の付庸国となった。明治維新後の1879年、明治政府は琉球を廃して沖縄県として、琉球王国は廃された。
 太平洋戦争の沖縄戦では、帝国陸軍の司令部が首里城の地下壕に置かれた為、この地で激しい戦闘が行われ、首里城は壊滅的な破壊を受けた。

 首里城は、標高120mの丘陵上に築かれたグスクである。王国の首府であった関係から、城というよりも王宮としての側面が強く、本土の近世城郭と比べてもかなり趣を異にしている。戦災による破壊は、近年の復元整備によりかなり修復され、グスク外周の石垣の他、正殿や守礼門等の建築物も復元されている。訪城時は、正殿の他に右掖門にも足場が掛けられて整備が行われていた他、主郭の東側は工事地区となって復元整備が進められていた。主郭南側は、京の内と呼ばれ、主郭より高台となった祭祀空間であったらしい。その西端には物見台が置かれ、グスクの外郭線を形成している。首里城は、那覇市内の世界遺産であることから、観光地化が進んでおり、古城巡りとは趣が異なってしまうのは仕方のない事であろう。
久慶門付近の石垣→DSC06388.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/26.217017/127.719165/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
nice!(4)  コメント(2) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 4

コメント 2

イラブ

ここは未だ行ったことがありません、なんか恥ずかしくて・・・
我々世代には琉大時代のほうが懐かしいかもしれません?
by イラブ (2014-01-20 12:52) 

アテンザ23Z

>イラブさん
首里城は、完全な観光地ですから、ちょっと気が引けますよね。私みたいなキャッスラーも、こうゆう所に行くと周りから完全に浮いてると思います(^.^;
by アテンザ23Z (2014-01-20 18:21) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント