荏原氏館(埼玉県深谷市) [古城めぐり(埼玉)]
←館跡の摩利支天堂
荏原氏館は、武蔵七党猪俣党の一流荏原太郎の居館である。荏原氏は、室町時代前期の上杉禅秀の乱の時、禅秀方に付いて敗れ、滅亡したと言う。
荏原氏館は、利根川南岸の平野部に築かれた居館で、現在の摩利支天堂の付近にあったと伝えられている。既に遺構は完全に湮滅しており、館の痕跡は微塵もない。現地解説板によれば、かつては300m以上に及ぶ範囲に所在した館で、利根川の堤防の一部は館の土塁であったものを、戦国末期の小田原の役の際、忍城の水攻めを行った石田三成が、取水施設として改修したと言うが、土豪の居館にしては規模が大き過ぎるので、少々疑問に思う。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.227779/139.331757/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
荏原氏館は、武蔵七党猪俣党の一流荏原太郎の居館である。荏原氏は、室町時代前期の上杉禅秀の乱の時、禅秀方に付いて敗れ、滅亡したと言う。
荏原氏館は、利根川南岸の平野部に築かれた居館で、現在の摩利支天堂の付近にあったと伝えられている。既に遺構は完全に湮滅しており、館の痕跡は微塵もない。現地解説板によれば、かつては300m以上に及ぶ範囲に所在した館で、利根川の堤防の一部は館の土塁であったものを、戦国末期の小田原の役の際、忍城の水攻めを行った石田三成が、取水施設として改修したと言うが、土豪の居館にしては規模が大き過ぎるので、少々疑問に思う。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.227779/139.331757/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
コメント 0