SSブログ

長福城 その1(栃木県小山市) [古城めぐり(栃木)]

DSC00943.JPG←わずかに残る土塁
(2006年10月訪城)
 長福城は、下野の名族小山氏の支城である。創築は明確ではないが、1380年から始まった小山義政の乱の際に「新城」として現れる。裳原の戦いで宇都宮基綱を敗死させた義政は、鎌倉公方足利氏満の討伐を受け、一旦降伏したものの翌年再び挙兵した。この時義政は、鷲城を本城とし、思川東岸に長福城(新城)・祇園城を連ね、東にやや離れて中久喜城(岩壺城)を構え、鎌倉方の大軍を相手に6ヶ月に渡る攻防戦を繰り広げた。しかし結局衆寡敵せず降伏し、出家して永賢と号したが、翌年粕尾城において三度挙兵、結局義政は自刃して果てた。長福城の名はその後歴史に現れず、廃城になったものと思われる。

 長福城は、思川東岸の小山氏城砦群(祇園城・長福城・鷲城)の中では最も遺構の破壊が進み、既に城域の大半が市街化で湮滅しており、わずかに思川沿いの西辺部に土塁の跡を残しているに過ぎない。その為往時の縄張りも明確ではなくなっている。この地には長福寺があったと伝えられるので、南北朝期によくある寺院を城塞化した寺院城郭だったのかも知れない。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.309990/139.794899/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0

※2023年の発掘調査後の再訪記はこちら
nice!(5)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 5

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント