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清久氏館(埼玉県久喜市) [古城めぐり(埼玉)]

DSC07626.JPG←浅間神社の土壇
 清久氏館は、藤原秀郷の後裔大河戸氏の庶流、清久氏の居館である。大河戸行方(下総権守重行)の2男次郎秀行がこの地に入部して清久氏を称した。1181年、大河戸太郎広行・次郎秀行・三郎行元・四郎行平の4兄弟は、三浦義澄に伴われて源頼朝に伺候した。清久氏はその後鎌倉幕府に仕え、1190年の頼朝上洛の際も随兵として従った。その後清久氏は、兵衛尉秀綱が1221年の承久の乱の際、宇治橋の合戦で活躍した。南北朝時代には、中先代の乱の時、清久山城守が北条時行方の将となり、観応の擾乱の際には左衛門次郎泰行が高師直に従って、足利直義が逃げ込んだ将軍尊氏の邸宅を囲んだことが知られている。南北朝期から室町期にかけては、伊奈町や四国に主な領地があり、一族はこの地から移住して、廃館となったものと考えられる。

 清久氏館は、現在の常徳院・白幡雷電神社一帯の台地上に築かれていたと言われている。この地は、周囲の水田からは浮島の様な微高地となっており、遺構は湮滅しているものの、館の雰囲気は地勢の中にわずかに残っている。尚、雷電神社裏にある祠(浅間神社)の土壇は往時の土塁の様にも見えるが、果たしてどうであろうか。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.076922/139.644331/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
タグ:居館
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