福岡城(埼玉県ふじみ野市) [古城めぐり(埼玉)]
←城址の現況
福岡城は、単に「城山」とも呼ばれ、小田原北条氏の家臣富永善左衛門の居城と言われている。富永氏は、伊豆の土肥に本領を持つ豪族で、北条氏の始祖伊勢宗瑞(北条早雲)が伊豆に侵攻した際、早い段階で宗瑞に従った功から、伊豆衆と伊豆水軍を率いる重臣の一人となった。その事績は、高谷城の項に記載する。善左衛門は、江戸城代となった富永三郎左衛門尉政直の甥と言われる。これほどの家格の武将を入部させたことから推測して、福岡城は北条氏綱が扇谷上杉氏から河越城を奪取して間もない頃に、河越城を防衛する支城であったと共に、荒川水系の水運を扼し、下流の江戸城との兵站線を確保する拠点であったと思われる。
福岡城は、現在はただの水田の平地と一部は城山公園となっており、遺構はほぼ湮滅している。一部に堀跡のような畑や土塁らしき土盛もあるが、改変が進んでいるため俄に遺構とは判断できない。城の鬼門に当たる場所には、現在天神社が鎮座し、そこに解説板が建っている。解説板が建てられているだけでも、嬉しいものだ。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.874846/139.546891/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
福岡城は、単に「城山」とも呼ばれ、小田原北条氏の家臣富永善左衛門の居城と言われている。富永氏は、伊豆の土肥に本領を持つ豪族で、北条氏の始祖伊勢宗瑞(北条早雲)が伊豆に侵攻した際、早い段階で宗瑞に従った功から、伊豆衆と伊豆水軍を率いる重臣の一人となった。その事績は、高谷城の項に記載する。善左衛門は、江戸城代となった富永三郎左衛門尉政直の甥と言われる。これほどの家格の武将を入部させたことから推測して、福岡城は北条氏綱が扇谷上杉氏から河越城を奪取して間もない頃に、河越城を防衛する支城であったと共に、荒川水系の水運を扼し、下流の江戸城との兵站線を確保する拠点であったと思われる。
福岡城は、現在はただの水田の平地と一部は城山公園となっており、遺構はほぼ湮滅している。一部に堀跡のような畑や土塁らしき土盛もあるが、改変が進んでいるため俄に遺構とは判断できない。城の鬼門に当たる場所には、現在天神社が鎮座し、そこに解説板が建っている。解説板が建てられているだけでも、嬉しいものだ。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.874846/139.546891/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
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