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次年子楯(山形県大石田町) [古城めぐり(山形)]

IMG_0070.JPG←主郭背後の最大四重の堀切
 次年子楯は、台屋城とも呼ばれ、歴史不詳の城である。この地の土豪が有事に備えて築いたと考えられており、次年子集落の伝承では森家の先祖が築いたものと言われている。
 次年子楯は、比高50m程の台地先端部に築かれた山城である。小規模ながら、多重横堀や畝状竪堀が効果的に配置された縄張りとなっている。背後に土塁を築き、内部を数段の段差で区画した主郭の周囲に、東から北斜面にかけて小型の畝状竪堀29条と、東に開いた大手に対して動線を制約する為に中型の畝状竪堀3条が穿たれている。これらの畝状竪堀は、上下の帯曲輪を竪堀で繋いだ様な形をしている。また主郭背後の西から南にかけて三重堀切が湾曲しながら走り、一部では最大四重の堀切となっている。主郭東側にも二重横堀が穿たれ、南端でこれら二つの多重横堀が交差し、竪堀状の搦手虎口や小郭に繋がっている。主郭の北東端には大手虎口と小郭があり、大手道の先にも小郭がある。北東に斜面を降っていくと、木戸口の様な窪みも確認できる。単郭の小さな城ながら、充実した遺構で見応えがある。
畝状竪堀→IMG_0021.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.597392/140.288386/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。
タグ:中世山城
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