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睦合楯(山形県西川町) [古城めぐり(山形)]

IMG_2260.JPG←主郭背後の空堀
 睦合楯は、歴史不詳の城である。隣接する長登楯が白岩備前守光広の治める楯と伝えられるところから、睦合楯も白岩氏の支城であったと考えられている。
 睦合楯は、睦合小学校背後の標高236mの丘陵上に築かれていたが、山形自動車道の建設により遺構はほとんど破壊されてしまっている。しかし、地形図と『山形県中世城館遺跡調査報告書』の縄張図とを照合すると、遺構の一部が残っている可能性があったので、一縷の望みに賭けてダメ元で訪城した。その結果、主郭は山形道が貫通して破壊されていたが、主郭背後の空堀の西半分が残存しているのが確認できた。この空堀は深さ4m程あり、単純な1条の堀ではなく、台地基部側に2つの小空堀を階段状に連ねて、変則的な三重空堀とした構造となっている。この他には主郭手前に腰曲輪群があったようだが、前述の通り既に湮滅している。しかしわずかでも堀跡がしっかりと残っていたのには感激した。尚、登道はないので、高速脇の側道を通り、城の東側の低地から斜面を直登して訪城した。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.421086/140.180549/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。
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