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真木山城(山形県朝日町) [古城めぐり(山形)]

IMG_2381.JPG←土塁で囲繞された空堀
 真木山城は、この地の領主大谷氏の本城である。東方に秋葉山楯と猿田楯の2つの出城を築いて防備を固め、平時の居館はこの3つの城を頂点とする三角形の中心付近にあったものと推測されている。真木山城主大谷彦次郎元秀は、血縁関係にあった寒河江大江氏が1584年に最上義光に攻め滅ぼされた時、最上氏に降らず、元秀は平塩池之坊に亡命し、家臣達は帰農したと言う。真木山城はこの時廃城になったと思われる。

 真木山城は、大谷川とその支流に挟まれた山地を利用して築かれた城で、西の山頂部から東麓に向かった緩斜面上に、階段状の多数の曲輪群を築いている。大きく3つの曲輪群に分かれており、下から順に三ノ郭群・ニノ郭群・主郭群で構成されている。まず三ノ郭群は、東斜面に広く展開する曲輪群と、南東に一段高く派生する尾根上に展開する曲輪群の2つに分かれる。東斜面の曲輪群は、前面に長さ90mの二重横堀を穿って下方からの接近を防いでいる。その上は小さな段差で区画された曲輪が多数配置されているだけである。南東尾根の曲輪群は、最上部に意図不明の「ト」型の土塁があり、細尾根上に段曲輪群が連なっている。ここからは東斜面の曲輪群が一望でき、土塁や物見台としても機能した曲輪群であったと思われる。この曲輪群の先端部は、土塁で周囲を長方形に囲まれた空堀があり、内部には井戸跡が残っている。これは類例の少ない、珍しい構造である。更にその外側には二重堀切が穿たれて、前述の空堀からこの堀切に向かって虎口が開いており、右側の土塁上の隅櫓台から横矢が掛けられている。次にニノ郭群であるが、これも段差で区画された曲輪群が展開しているだけである。最上段には櫓台があり、その背後には二重堀切が穿たれている。この堀切は、側方中央部の土塁を削り残して二重竪堀にして落とす珍しい構造で、京塚楯藤沢楯石堂山楯で見られるものと同様の形である。この上には主郭群がある。主郭群は小さな曲輪で構成された詰丸で、前衛小郭の後ろに小堀切があり、その先に2段の曲輪がある。途中の物見台と思われる部分には櫓台入口らしい窪みがある他、主郭上段曲輪の虎口部分は幾重にもクランクした枡形構造となっていた様である。しかしいずれもささやかな遺構で、規模は小さい。この他、主郭部から派生する3つの尾根には小堀切が穿たれている。以上の様な遺構で、三ノ郭群前面の空堀以外はちょっと見所が少なく、おまけに全体に笹薮が繁茂し、遺構の確認が難しい城である。
堀切側方の二重竪堀→IMG_2319.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.342378/140.155322/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
タグ:中世山城
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