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前ヶ崎城(千葉県流山市) [古城めぐり(千葉)]

IMG_2883.JPG←主郭虎口と左にそびえる櫓台
 前ヶ崎城は、小金城主高城氏の支城である。元々の創築は、扇谷上杉氏の家宰で名将として名高い太田道灌によるとされる。即ち、長尾景春の乱鎮定後、武蔵千葉氏に肩入れして下総千葉氏を攻撃した道灌が、文明年間(1469~86年)に前ヶ崎城を構築し、弟の六郎を在城させたと伝えられる。1486年、道灌が糟屋館で主君上杉定正に暗殺されると、千葉氏による反撃が開始され、11月3日に前ヶ崎城が落城し、六郎が討死した。戦国期になると、高城氏が再びこの城を取り立てたのだろう。しかし戦国期の歴史についてはあまり明確ではなく、城主も田島刑部少輔とも、花野井氏とも言われるが定かではない。
 前ヶ崎城は、南から北に向かって伸びた、比高10m程の舌状台地先端に築かれた城である。現在、主郭部が城址公園として整備されている。堀切で分断された3つの曲輪で構成された連郭式の縄張りで、主郭の遺構はほぼ完存し、周囲を巡る土塁や南側の虎口とそれを睥睨する櫓台、また東側の搦手虎口の先には腰曲輪と細土塁状の物見台がある。主郭背後はニノ郭との間の堀切だが、現在倉庫が建っていて破壊されている。二ノ郭にも民家の裏の山林に広い土壇がある様だが、その他は改変が激しい。三ノ郭も民家などに変貌しているが、南辺に腰曲輪状の畑があり、遺構であった可能性がある。明確な遺構は主郭だけだが、城址公園として遺構が保存されているのはありがたい。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.849526/139.932389/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f0
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