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犬掛古戦場(千葉県南房総市) [その他の史跡巡り]

IMG_4198.JPG←古戦場の碑と解説板
 犬掛古戦場は、安房里見氏の内乱「天文の内訌」の古戦場である。伝承では、1518年に里見義通が病没すると、その嫡子義豊がまだ幼かったため、弟の実堯が後見役となって家中を取り仕切った。その後、義豊が元服しても実堯は国を譲らず、1533年、義豊は叔父実堯を稲村城に攻め滅ぼした。しかし翌34年、今度は実堯の嫡子義堯は小田原の北条氏綱の支援を得て、父の仇である義豊を犬掛に攻め破り、討ち滅ぼしたとされる。これによって里見氏の家督は、庶流の義堯の系統に移り、これ以後を後期里見氏とも称する。
 但し、近年ではこの伝承に異説が出て有力視されているらしい。即ち、義通の没後、義豊が里見家当主になっている明証があることから、実堯が実権を握っていたのではないらしい。北条氏の支援を得て不穏な動きを見せていた叔父実堯を、当主の義豊が自身の居城稲村城に呼び出して、誅殺したのではないかとする。後に義豊から家督を奪った義堯が、自身の正当性を主張するために、仇討ち話を作ったとするものである。いずれにしてもこの内乱の実態は、義豊を支援する小弓公方足利義明・扇谷上杉朝興・真里谷武田氏と、扇谷上杉氏と熾烈な抗争を続けて義堯を支援した北条氏綱との代理戦争であったと考えられている。

 犬掛の戦いは、里見氏の支城滝田城里見番所の間に広がる平久里川の氾濫原で行われた。東の山裾には古い小さな「古戦場」と刻まれた石碑と解説板が建てられている。また、その北東100m程の所には里見義通・義豊父子の墓が建っている。

 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/35.078749/139.903400/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
タグ:古戦場
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