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中尾城(千葉県木更津市) [古城めぐり(千葉)]

IMG_7770.JPG←三ノ郭虎口の櫓門跡
 中尾城は、真里谷武田氏の支城として築かれた。伝承では、明応年間(1492~1501年)に真里谷武田信興が、真里谷城の支城として築城したとされる。その後、真偽は明確ではないが、『笹子落草紙』『中尾落草紙』によると、1543年に真里谷武田氏家中で二度目の内訌が生じ、真里谷武田氏家臣の後藤兵庫助が、大多喜城主武田朝信や小田原の北条氏康の援軍を得て笹子城主鶴見五郎を攻め滅ぼして中尾城主となった。その後、家臣の鶴見五郎を殺された真里谷武田信秋は、安房の里見義尭に依頼してその属将正木時茂らと共に逆襲し、中尾城を攻め落とし後藤氏を敗死させたと言う。

 中尾城は、館山道木更津JCTに程近い比高30m程の南北に伸びた丘陵地に築かれた城である。基本的には直線連郭式の縄張りで、曲輪間を堀切で分断している。特に神社のある主郭の南北を分断する堀切(現在は道が通る)は規模が大きい。また主郭の北にある三ノ郭には櫓門が置かれていたと思われる立派な虎口が見られる。その他にも腰曲輪や平場が多く見られるが、墓地造成や宅地化・道路建設で改変が多く、どこまでが往時の遺構かはっきりしない。その意味で少々消化不良気味の遺構である。
主郭南の大堀切→IMG_7721.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.382057/139.970467/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
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