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天神山城(千葉県富津市) [古城めぐり(千葉)]

IMG_8138.JPG←ニノ郭側方の堀切
 天神山城は、文明年間(1469~86年)に峰上城主真里谷武田氏が、支城として築いた城と言われている。後には里見氏の部将戸崎玄蕃頭勝久の居城となったとされる。しかし、城域内にある天神社や付近にある妙見社との関係から千葉氏の一族天羽氏の関連や、小田原北条氏の関連も指摘されている様だ。

 天神山城は、上総湊の河口に程近い標高110mの山上に築かれている。天神台と呼ばれる台地上の外郭は、現在住宅地に変貌しているが、その最上段の天神社の脇から登道が付いている。登って行くと山裾に2段程の腰曲輪があり、横堀の様な地形が確認でき、畝のようなものも見られる。その先を登って行くと段曲輪群の先に小さく細長い主郭がある。主郭の物見台の様な部分にはくり抜かれた穴があるが、太平洋戦争時の塹壕が何かであろう。主郭の先は2本の堀切を介して、ニノ郭に至る。ニノ郭は削平の甘い曲輪で、背後に当たる西の尾根と、側方に当たる南の尾根に堀切が穿たれている。以上の計4本の堀切は、いずれもしっかりと普請された中規模のもので、一部は岩盤垂直絶壁の堀切である。主城部の西には小高い独立峰があり、物見台と思われる。ほとんど自然地形に近いが、西側斜面に腰曲輪状の平場や、岩盤を削った切岸が見られ、多少の普請の跡が伺える。しかし遺構はあまり明瞭ではない。天神山城は、比較的小規模の兵力で守っていた城で、湊の海運を押さえる要害であったものと推測される。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.209865/139.873831/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
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