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天神台城(千葉県木更津市) [古城めぐり(千葉)]

IMG_8248.JPG←主郭背後の切岸と堀切
 天神台城は、歴史不詳の城である。1534年の真里谷武田氏の内訌の際、武田信隆方の城として「真里谷新地の城」が同時代資料に見られるが、それが天神台城であるとの説が有力である。信隆を支援する小田原の北条氏綱は、重臣の大藤金谷斎栄永らの軍勢を援軍として派遣し、真里谷新地城に入らせた。しかし1537年5月に、武田信応方を支持する小弓公方足利義明が大軍を率いて攻撃を行い、信応方の勝利に帰し、信隆は追放された。この時、真里谷新地城の北条軍も義明に降伏したと言う。

 天神台城は、武田川と泉川に挟まれた標高110m、比高75mの丘陵上に築かれている。地形に沿ってくの字に曲輪を配置した連郭式の縄張りで、中央に主郭を置いている。主郭とその背後の三ノ郭にはそれぞれ横矢掛かりの堀切が穿たれ、上部の櫓台からの攻撃を効果的なものとしている。また主郭・三ノ郭には周囲に帯曲輪が廻らされ、特に主郭では横堀も築かれて防御を固めている。主郭の手前は二ノ郭で、浄水場が築かれているので一部改変を受けている。ニノ郭の先には、土塁を伴った虎口と堀切が2ヶ所築かれ、土橋も掛けられている。横矢の掛かった堀切や横堀・帯曲輪など、上総では珍しく北条系城郭の特徴が多く見られる一方、堀切などの規模が小さく、曲輪の削平も甘いざっくりした普請で一時的な陣城らしい造りから、北条軍が籠もった真里谷新地の城と比定する説には説得力がある。しかし城域の大半は藪がひどく、遺構の確認が大変である。
主郭周囲の横堀と帯曲輪→IMG_8269.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.366291/140.077636/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
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