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山川氏館(茨城県結城市) [古城めぐり(茨城)]

DSC01290.JPG←土塁と堀
(2006年10月訪城)
 山川氏館は、下総結城氏の庶流山川氏の居館である。結城氏初代朝光の4男重光が、1243年にこの地に分封され、山川氏の祖となった。結城郷の南半を治めた山川氏は、鎌倉幕府御家人の列に連なり、宗家の結城氏とは半ば独立した勢力を有し、後には多賀谷氏などと並び「結城四天王」と称せられた。山川氏は、室町・戦国期と代々宗家の結城氏をよく助けて功があった。戦国中期に入ると、関東では相模の北条氏康と関東管領となった越後の上杉謙信の抗争によって諸武家の帰趨が揺れ動き、山川氏も結城氏と共に両勢力の間を揺れ動いた。そんな中にあって、山川駿河守氏重は1565年に新たに綾戸城を築いて居城を移し、ここには代官を駐在させた。関ヶ原合戦後の1601年、主家結城秀康(実は徳川家康の次男)が越前に転封になると、山川讃岐守朝重も秀康に従って越前に移り、この地は江戸幕府の直轄領となって、伊奈備前守忠次が来任し、代官横田次郎兵衛等がこの地に住んだが、間もなく代官が廃止され、旧居に東持寺が建立された。

 山川氏館は、現在も東持寺の境内となっている。寺の四周には立派な土塁が廻り、隅櫓台が築かれ、外側には堀跡もはっきり残っている。秋口でも雑草が適度に刈られ、遺構が大切に保存されているのがわかる。東持寺の中央から南に一直線に伸びる道路には「馬場」の地名が残っており、往時から居館に通じる道路となっていたことを伺わせる。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.252175/139.883861/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1
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